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【前編】ベンチャー「フルカイテン」在籍12年エントリ。創業社員・妻として見てきた夫CEOの軌跡

フルカイテンCEO瀬川の妻で、採用広報を担当している宮本亜実です。
起業当時、社員は私と夫だけだったので、苗字が被らないように「宮本」という旧姓で仕事をし続けてきました。

フルカイテンの元となった会社を起業したのは2012年。当時はゴリゴリの役員としてベビー服のEC事業で仕入れや撮影、在庫管理の仕事をしておりました。途中で2人の出産を経て、忙し過ぎた役員を退き、現在は子育てと仕事のバランスを取りながら時短で勤務しております。

2012年5月7日、創業当日の写真。実家の2階が事務所でした

ベビー服EC事業で在庫が原因で三度の倒産危機を乗り越えた話は、フルカイテンをご存じの方の間では(おそらく)有名ですが、そのV字回復のカギとなった社内用在庫分析ツールを「FULL KAITEN」と名付けて世に送り出すことを提案したのは、妻である私です。
社員をはじめ、色々なインタビューを通して外部の方々にこの事についてお褒めの言葉を頂きます。ですが実は夫に「売れ!」と言ったことを何度も後悔したことがありました。
(今は心から良かったと思っています)

↓↓起業してからの倒産危機についてはこちらで詳しく触れています

今日の記事は、そんな私の心境がどうして「後悔」になったのか、なぜ今は「良かった」と思えるのか、FULL KAITENと主人の軌跡を併せてお話したいと思います。なぜなら、FULL KAITENの成長はまさにCEOが成長していく姿と合わせ鏡。事業は人と言いますが、会社は主人の姿そのものなのです。


FULL KAITENリリース。いきなり天国から地獄へ

2017年、FULL KAITENは大阪の下町の雑居ビルでひっそりとリリースされました。当時の弊社の規模は、私が育休中で社員は3名だけでした。
ですがEC事業時代からお世話になっている繊研新聞さん(ファッションビジネス専門紙)にリリースの記事を書いて頂き、とても嬉しかったのを覚えています。(お世話になっている記者さんに感謝しかありません)

FULL KAITENリリースの頃。雑居ビルのオフィス

リリースされてすぐ、記事のおかげでなんと7社から問い合わせが来ました。驚いたのは、全て、誰もが知っているような日本を代表する大手企業だったのです。

正直、冷や汗でした。こんな小さな会社がリリースしたささやかなプロダクトです。せいぜい小規模のECから数件問い合わせが来たらいいな、ぐらいに思っていました。
超大手企業の在庫や売上データの桁数を処理できるはずもない。そう考えると、気が遠くなりました。

さらに血の気が引いたことに、7社とも契約が取れてしまいました。
在庫問題のペインがここまで深かったとは...

そこから大変でした。超大手企業のビッグデータを扱うわけですから、小規模企業向けに設定していた当時のFULL KAITENではシステムが重すぎて動くはずもありません。
お客様の前で、固まった画面が更新されるまでひたすら待つ時の冷ややかな空気。「間もなく改善されるので」とひたすら謝り、バージョンアップまで待ってもらったのにその期日にも間に合わず、遅延を重ねて謝罪行脚の日々。CEOはエンジニアとも随分衝突しました。

この時点で、FULL KAITENは大手向けだということがはっきり分かり、CEOは営業活動を中止し、重くて動かないシステムの改善に全社のリソースを集中させました。彼の仕事は謝罪だけになりました。この時期は本当に辛かったと思います。「あぁ、売ろうなんて言わなければよかった」と主人に謝りました。

このころのCEOは、社員やお客様からの言葉に自分の信念がブレることが何度もありました。自分は社員に迷惑をかけている。まだフルカイテンという会社の魅力や働き甲斐に自信はない。こんな小さな会社で働いてくれてるだけで本当にありがたい。だから、社員の意見や要望に合わせて動かなくてはならないと、あちこちの意見に耳を傾けて、同意し、あれもこれもやってみるという段階でした。(後にこの経験はとても大きく効いてきますが)

当時の事を振り返ったCEO瀬川の言葉です。

この会社は所詮自分がやりたいことをやろうとしてる会社に過ぎない。そこに社員がのっかってくれているだけでみんなの夢とリンクはしていない。ミッションが瀬川個人の野望(この当時は、”日本中の小売業の社長を笑顔にしたい”)でしかなかった時代だった。個人の野望に社員のみんながどれくらい本気で乗っかってくれるのかと考えると、そんな社員はいるわけがないと思っていたのがあの当時の偽らざる気持ちだった。今だからこうして言語化できるが、当時は毎日のことで精一杯で、こういう言語化すらできていなかった時代だった。
当時の気持ちはよく覚えていて、海で溺れているような気持ちだった。本当に生きている心地がせず、自分が自分ではないような気持ちにすらなっていた。今思えば鬱に近いような状態だったのかもしれないけど、そういう状態で毎日全国を飛び回って謝罪していた。

ですが、日本を代表する企業が欲しいと言うほどに需要があるサービスだということは分かりました。茨の道であることは間違いないけど、とんでもないポテンシャルが潜んでいる。そう思いました。

この当時、上手くいく確信もないのに、FULL KAITENを応援して契約して下さった小さな企業さんもたくさんありました。まだ手書きの請求書を1件ずつ送っていた時代です。謝罪に行った時にも逆に応援してくださって次のリリースを待ってくださった事、今でも覚えていて感謝しています。この記事を読んでいて下さるといいなぁ。

また、繊研新聞社主催の「ファッションECサミット」にてサポート賞を頂いたことや、成長を見守ってくださる記者さんも私達を大いに励ましてくれました。

授賞式にて。左からCEO瀬川、筆者、FULL KAITENを応援し続けて下さる繊研新聞の記者、津田さん

また、散々待たされたあげく、FULL KAITENを導入しても思う通りに動かず解約となり、期待を裏切り怒りに震えさせてしまったにも関わらず、バージョンアップしてから数年を経て再契約頂き、使い続けているお客様もたくさんおられます。例えば、世界的に有名な某スポーツブランドさんです。

私はCEOとお客様のやり取りを見ていて、その様子が利害関係だけとは思えないのです。解約が悔しくて何とか役に立ちたいと、お客様の要望を叶えてバージョンアップし、再度営業に来たCEOに「よくここまで頑張ったね」と待っていてくれたような、そんな気持ちが「再契約」から感じ取られて、暖かい気持ちになるのです。実際にそういうお客様が何社もいらっしゃるので、フルカイテンは応援してもらえる会社なんだなとも感じています。

このように何年越しものお付き合いの中で、リリース初期のカオスな時代からずっと応援し、期待してくれているお客様がとても多いのがFULL KAITENの強みでもあります。

まずはCEO自身が在庫で3度も倒産危機を乗り越えたという圧倒的体験、さらにお客様の意見を数年という長期に渡ってとことんヒアリングし、着実に叶え、ドン底から築いた信頼関係。これはもう、CEO瀬川が経営しているフルカイテンにしか作れない唯一無二のプロダクトなんです。他ではダメなんです。だから皆さん、バージョンアップを期待して待ってくださいます!

これだ!というミッションに出会った日

今でもはっきり覚えています、営業先からオフィスに帰ってきたCEOが興奮して言いました。お客様から「FULL KAITENが世の中に広まれば、在庫がちゃんと回って大量生産が抑制され、大量廃棄問題が解決するんじゃない?」と言われた!と。
私達は、EC時代から目の前に居た小売の経営者や現場で働く人たちが笑顔になる為のサービスを作っていくつもりでした。ですが、お客様のその一言で一気に視座が上がったのです。

この時、会社の存在意義が確かに大きく変わりました。小売経営者のための存在という事業的価値と、世の中の社会問題を解決する社会的価値。自分達が社会へ提供できるこの2つの価値がものすごく貴重なものだと分かったのです。

「SDGsウォッシュ」なんて言葉が流行るほど、自社の取組みをSDGsに寄せてPRしているだけの企業が多かった時代ですが、FULL KAITENは事業の成長がそのまま環境問題解決に直結するのです。この気付きは私達社員を大いにモチベートしました。

「世界の大量廃棄問題を解決する」がミッションとなった瞬間でした。 

新たなミッションに完全にモチベートされたメンバー

この時、CEOはこう語っています:

これまでのフルカイテンは、自分(瀬川)の野望「世の中の社長を笑顔にする」を叶える会社に過ぎなかった。だから、その野望に社員を巻き込んでしまっているという引け目があった。しかし「世界の大量廃棄問題を解決する」というミッションによって、地球の未来、もっと言えば未来の子供達のためにもなるのだと視座が上がり、フルカイテンのミッションは瀬川個人でなく「みんなの野望」になった。
ミッションが社会に与える価値と、事業として企業に提供できる価値がコインの表裏のように直結しているという気づきは、採用や資金調達に良い影響を与えてくれた。
ミッション・ビジョンの大切さを痛感した時だった。
その間もシステムが重くて動かない問題は続き、営業もストップしていた。資金調達をしても、重さを改善するための研究開発にお金が溶けていく。開発チームとの論争も繰り返した。
知らないところで仕様が変わっていて、出来ると聞いていた事ができなくなったり、余裕あるスケジュールと聞いてお客様と約束していた期日が遅延、それを何年も何度も繰り返し、人間不信に。当時のエンジニアは全員退職、組織崩壊。
自転車でオフィスから家に帰宅する途中、ストレスで目の前が真っ暗になって車に轢かれそうになったこともあった。

コロナ禍の危機

2020年から本格的なコロナ禍に入り、話がまとまりそうだった契約が白紙に戻るという事案がいくつも発生しました。百貨店やモールも休業し、外出自粛でお客様の商売が止まったのです。これはフルカイテンにも影響しました。営業できないため資金も溶けていくので、フルカイテンはいち早くリモートワークに切り替え東京オフィスを解約しました。
しかしコロナの補助金などでお金が入ってきたので、何とか切り抜けることができ、引き続きシステムの重さを解決するための研究開発を進めておりました。

コロナ禍を生き残れるかどうかの厳しい戦いだったので、この時、CEOは心を鬼にし「カルチャーや遊び心は一旦置いておく」と宣言、結果以外は不要だと全社員に宣言しました。本当のCEOは仲間を大切にしながらストイックさと遊び心が共存する組織を作りたいと思っているはずなのに、この時は自分を押し殺して結果のみを全社員に求めました。慣れないリモートワークで仲間にも会えない中、全員がゴリゴリに働きました。ここで退職していくメンバーも沢山いました。以前のCEOなら、退職していく社員の原因を探り、悪かったところに目を向けて「良い会社」に改善しようとしていたでしょう。しかしこの時は違っていて、彼の中で成果への道筋がまっすぐ通っており、誰が何と言おうとそれを譲らなかったです。
コロナのあの苦しい状況を生き抜くことが後々に社員のためになると信じ、一次的に嫌われることも受け入れました。

本当は、社員同士の心の繋がりを大事にしたいと思っているのは誰よりもCEOなのです。今いる社員はそのことを全員理解していると思います。

この時のCEOの振り返り:

皆の前で、平常時と緊急時のゲージの話をしたことをはっきりと記憶している。ゲージが平常時にある時は、普段のレベルに寄せたコミュニケーションや意思決定を取るが、明かな緊急時は100%緊急側に寄せ、全員成果しか求めない。これを伝える前日にすごく悩んだ。辞めるメンバーもいるだろうなと。結果的にこれは、アットホームでサークル的な要素があった会社から脱皮する良い機会となった。

ジャフコがリードインベスターに(2021年)

2021年、ジャフコグループさんから5億円の資金調達に成功しました。
ジャフコの西日本支社長であり、FULL KAITENの担当者である「高原さん」という存在がフルカイテンに大きな影響をもたらします。

当時の大阪オフィスに現れたジャフコ西日本支社長、高原さん
スーツに着替えた高原さん。 CEOと。

ジャフコさんの投資前の調査がとても深かったことに驚きました。FULL KAITENユーザーにとことんインタビューし、本当に大手企業までが在庫過多で困っているのか?エクセルでデータ分析してるってマジ?そもそもこんなマーケットあるのか?と疑問を洗いざらいぶつけて調査しました。CEOは自信満々でした。この巨大なマーケットにメスを入れたのはフルカイテンだけですし、他の企業に真似できるものではないと知っていたからです。

最終的に投資を決めて頂けた理由は、2つ。マーケットとプロダクトの将来性を理解したから。もう1つは、CEO瀬川が経営しているから、というものでした。

当時の高原さんの言葉:

「瀬川さん自身が小売経営で倒産しかけた経験があることから、現場の業務の解像度が非常に高い。それがお客さんから支持される。投資前に実施したFULL KAITENユーザーインタビューでは、「どうしてFULL KAITENを?」と聞いたら、必ず「瀬川さん」という答えが返ってきた。そんな瀬川さんがやっている、というのが2つめの決め手ですね。」

↓↓ジャフコから5億円の資金調達。当時のnoteがこちら

これまでと大きく変わったのは、高原さんはまさに伴走型のキャピタリスト。フルカイテンのslackにも入り、業務にも関わり、積極的に介入してCEOのフォローをしてくれました。

ジャフコのキャピタリストは年間2000社のベンチャーに会うらしく、その中から出資を決めるのは20社ほどとのこと。1/100の確率にフルカイテンが選ばれて、その理由がプロダクトとCEOだった、という点については本当に誇らしく、自信になりました。

それから今まで、高原さんはいつも私達の味方であり、信頼できるビジネスのパートナーです。フルカイテンTシャツを着て全社会議に参加したり、創立10周年には記念のケーキを準備してくれていたりと、心からフルカイテンを愛してくれています。

当時のCEO:

投資頂くまでの過程を話すと、バックエンドエンジニア横田達の頑張りで、「重くてどうにもならない問題」にめどが付き、営業再開。FULL KAITENは大手の引きが強いと改めて実感した。高原さんには出資の半年前から連絡を取っていた。MRRが伸びている様子、実行力の高さを認めてもらうため。半年後の数字を宣言し、毎月ミーティングの機会をもらって状況報告をしていた。
ジャフコさんから調達できなかったら会社は終わると思ったので、社運をかけてのコミット。まさに背水の陣で、自分1人でエンプラ×バーティカルというこの難しい契約を月11件取ったこともあった。
高原さんから審査を受けるに当たり、投資検討している会社のマーケットをここまで深い粒度で調査するんだと驚いた。この人になら、会社の全部を見せて一緒にやっていける、本気でぶつかって行けば本気で返してくれると感じた。
ジャフコからの出資のおかげで、色んな企業からの与信が上がった。FULL KAITENの営業がしやすく、採用も進んだ。今でも毎週のボードミーティングに出てもらい、slackにも入ってもらっていて、一切隠し事なく全てを見てもらい、良いパートナーとして頼れるので助かっている。
最終的には投資家と起業家は利害関係が対立するが、信頼できる相手と出会えて心強い。出資してもらってから会社の状況は良い時も悪い時もあるが、自分のことを理解してもらっているので安心できている。
CEOとは、お金の問題、人の問題、代表瀬川と人間瀬川のギャップなど、社員に相談することはできない事もたくさんある。
しかし、多くの起業家を見てきた高原さんが共感してくれ、高性能なサンドバッグ(愚痴から歓喜まで)となってくれている(笑)

「創業社員・妻として見てきた夫CEOの軌跡」前編はここまでとなります。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

後編は下記内容で書きました!

・ついに!V3ローンチで長年の重さ解消!
・CEO一家長野に移住
・ワークライフバランスへの想い
・組織を大きく舵切り、カスケード型に



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