見出し画像

本物の夏がやってきた【#お祭りレポート】

「オイサァ!」

窓の向こうから、男たちの野太い声が響いてくる。パソコン作業をしていた私は、思わず手を止めて耳をすませた。
私の職場は、博多を代表する祭り・博多祇園山笠の舞台のすぐそばにある。

少し前の話になるけれど、2022年7月、博多では3年ぶりに山笠が開催された。
7月1日から15日まで行われる、博多祇園山笠。
祭りの期間中は、いろんな観光スポットに博多人形師が拵えた綺麗な飾り山笠が登場し、目を楽しませてくれる。
でも最大の見所は、なんといっても最終日の追い山笠(おいやま)である。

早朝、封鎖された博多の街に大勢の男たちが集結し、重さ1トンの山笠を担いで駆け回る。流(ながれ)と呼ばれる7つのグループでそのスピードを激しく競う、男による男のための男祭りだ。

昔は早起きして、追い山笠を見に行ったものである。
沿道にはたくさんの見物客が連なり、歩くのも困難なほど。山笠を見にきたのか、人を見にきたのかわからないくらいの混雑ぶりだけれど、祭りにかける男たちの意気込みに圧倒される。水しぶきと共に勢いよく疾走するその姿は、なんとも言えない迫力なのだ。

実は、山笠というのは地元民にとって、ちょっぴりめんどくさい存在でもある。

期間中には、公道の真ん中に"山小屋"という休憩所が突如出現したり、行事を優先するためにバスが動かなくなってしまうことも。
スケジュールを把握していないと、渋滞に巻き込まれ、家に帰れなくなるのだ。

また祭りの間は、朝に夕にと練習や神事があるため、男たちは仕事も家庭も放ったらかし。
何かに夢中になることを、博多では"のぼせ"という。夏が近づくと寝ても覚めても山笠のことばかりという博多の男は、"山笠のぼせ(やまのぼせ)"と揶揄される。

さらに山笠の装束は、法被に"締め込み"という、お尻丸出しのふんどし姿。
正直、目のやり場に困る。
勢いよく駆けていく祭りの最中だと気にならないのだが、練習風景となるとどうにも落ち着かない。

"子ども山笠"といって、小さなお子さんたちが参加する法被姿は可愛らしく思えるけれど、ウッカリふんどし姿の大勢の男衆に囲まれてしまい、
「おっさんの尻なんか見たくないとよ」
と辛辣に言い放つ同僚もいた。

そんなわけで、私にとっても山笠の練習風景には近づきたくないもの、わざわざ混雑に巻き込まれてまで見に行くものではないという認識だった。

でも、今年はなぜか男たちの声に引き寄せられた。
街のあちこちには、ちょうちんがぶら下がり、そこかしこにポスターが貼ってある。

仕事帰りに山笠見物に行こうか。

唐突にひらめいたその考えは、とてもいい思いつきのように思えた。コロナ禍で鬱屈していたからだ。

この3年、家と会社を往復するだけの毎日を過ごしてきた。高齢の父親との二人暮らしで、遠方に住む兄夫婦には、ずっと会えていない。
友人や同僚たちとの楽しかった会合もなくなり、自分から娯楽が奪われたように感じていた。

男衆の掛け声が聞こえる、駅の方角に向かって歩いて行く。
今年の追い山笠は平日で、見物に行けないし。
そう自分に言い訳しながら。

「オイサ、オイサ!」
小気味よい掛け声が、どんどん大きくなっていく。目をやると、駅の広場に山笠を担いだ大勢の男衆が、ちょうど駆け込んできたところだった。コロナ禍とはいえ、見物客もたくさん集まっている。

「祝い~めでた~の若松~様~よ 若松~様~よ」

久しぶりに聞く、独特の節回し。
おめでたい席には欠かせない祝い唄、"祝いめでた"が響き渡る。
男衆の野太い唄と手拍子に続いて、周囲の観客も唱和した。

ぶわっと鳥肌が立つ。

かつていろんな場で親しんできた唄なのに、なんて厚みのある音だろう。
ずっと、この感覚を忘れていた。

私は何年もこれを待っていたんだ。
気持ちが高揚していくのがわかる。

周囲の人たちも同じ気持ちのようだった。一緒に口ずさみ、手をたたく。
場の空気が、さらに熱を帯びた。

博多では「山笠が夏を連れてやってくる」と言われている。
3年ぶりに本物の夏がきた。

そこには日頃の物思いを忘れ、いつの間にか気持ちが晴れやかになっている私がいた。


この記事が参加している募集

お祭りレポート

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?