FULL CONFESSION(全告白) 28 友達という名の不審者

GEN TAKAHASHI
2022/10/25

基本的に映画作家・GEN TAKAHASHIの作文。

第28回 友達という名の不審者

 2022年12月31日を限りに、Facebookを退会することにしている。ついでにおれ自身のTwitterアカウントも削除して、基本的には「SNS引退」する方針である。ただし、一応は映像屋としてInstagramと、展開中の映画作品に関するTwitterは続くと思う。

 SNS時代というのかどうか知らないのだが、とにかくFacebookやTwitterが広まってから世上はおかしなことになり、いまや「人間関係の築かれ方」というものが修復不能なまでに破壊されてしまった。

 おれのFacebookにもこれまで見ず知らずの人々から「友達申請」が来たけれども、それは生身の他人が目の前に現れてはいないというだけで、自宅や町でいきなり「友達になってくれませんか?」と声をかけられるのと同じことで、相手にしないほうが普通だろう。でも、SNSという世界観の枠組みは人間の普通の神経を麻痺させる。

 先日も、おれのFacebookのメッセンジャーに、ある人物から「ご無沙汰しております」との挨拶で「友達申請」があった。どうやら映画関係者で、過去におれと面識があるようだ。

 しかし、おれは2年半前の脳内出血で記憶力が著しく低下している(というよりメモリー自体が損傷している)から、思い出せない。具体的に「誰それさんのパーティーでお会いした」とか「あの撮影現場にいました」というならまだしも、その人物は、自分のことは記憶されていて当然だというような文言で挨拶をしてくる。Facebookで顔も見えるんだから、わかるよね?的なノリである。でも、こちらには相手がわからない。共通の友人というカテゴリーに確かに知っている人間もいたから、フィッシング系ではないはずだ。

 そこでおれはメッセンジャーの返信で、自分の病状と現状を説明して、その人物と、どこでどのような面識があったのかを非常に丁寧に尋ねる返信を折り返した。すると、その相手は、いわゆる「怒り顔マーク」だけを返信につけてきたのだった。要するに「おれが誰だか本当はわかっているくせに、相手にしないつもりか」または「そんなつもりなら最初から友達申請を受け入れるな」とでもいうのか、「怒り顔」なんだから不服の意思表示を送りつけて来たわけだ。

 おれは「こういう態度は人としてどうなのでしょうか?」と、これまた非常に丁寧に、その人物に苦言を呈すると同時に「ブロックさせて頂きます」と通信を遮断した。

 SNS社会の住人は「そんなことは、日常じゃないか」と一笑に付すだろうけれども、それが問題なのである。SNS時代以前なら、このような人物は良く言って「失礼」、悪く言えば「不審者」だろう。そういう存在が、普通であるかのように、人々の世界観なり社会観を転化させてしまったところにSNSの「毒」がある。

 人と人が出会って関係性を築くという行為は、実は極めて宗教的な側面に支えられている。「これから相手を知る」または「知ろうとする」ということは、神話の共有を求めるのと同じことだからである。ところが、SNSという「毒」は、これら人間の宗教的な営みを無効化したのである。だから、昨今一大ブームとなったグローバリゼーションという概念は、SNS社会を基盤にして世界を席巻したのだろう。瞬時に友達を量産する「即マッチング」は、生産性こそが価値で、「出会い」という宗教的な儀式を排撃する傾向が強い。

 おれは19歳で東映東京撮影所の門を潜ったときから、「映画」という、フィルムから生まれた世界観の中で生きてきた。デジタルの極北である。人間関係の築かれ方も、「映画屋」と、現在のデジタル世代のつながり方(ネットでオーディション?なんじゃそれ)では大きく違う。なによりも、映画とは「光学装置を使った神話の共有」に他ならないのであって、SNSという「システム」の枠組みとは、最初から相反する世界である。

 そういうわけで、おれはSNS社会の住人にはならないと宣言したわけだが、そうこう言っているうちに、この「note」も巨大なSNSのひとつだというから自家撞着も否めない。映画と同じく、文字そのものの価値も、デジタル世界では失われている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?