メディアの弊害

精神疾患になって、何が深く負担になったか考えてみました。
デバイスがみんなの情報源になる前って、テレビ番組が常識のもとになっていたんです。
選択肢は個々によるけど、その内容が恣意的であるほど、人生経験が少なかったり、思い込みが強い人には強い影響を与えたのだと思います。そして、当時最もテレビを見ていたのは専業主婦でした。

わたしがピアノを習わされてから、母がしきりに見ていたのは、神童と二人三脚をしている母親のドキュメンタリーでした。わたしが神童になれば、母は幸せになれるのか。わたしも一緒に見させられたこともありました。いくら機会を掴まされても、凡人はモノになりません。次第に否定されているような気持ちになっていきました。でも母はその地位を目指しているため、子の苦労など、そこに至るまでのマイルストーンくらいにしか思っていませんでした。

そういう人って、似たような人が交友関係に出るんです。あなたのレベルならきっとできる、とかいって急に音楽高校の講師を連れてきて講評させたり。その時駄目だったんですよね。仲介した人は二度と、交友関係のなかに現れませんでした。そういう夢見がちな人が必ず関与してきます。

大人になって新卒採用も期待できなかった氷河期にぶち当たり、あっさりと母はわたしを諦めました。そして去っていきました。わたしも親元からは去りました。母はいまでもその場所にいるのです。その恨み、なんで至らなかったのか理解のなさ、かけた時間を返せという怒り、子育ての苦労をどうしてくれるのかの怒り。全てをかけるぶん、報われない恨みつらみは大きくぶつけられます。

だから平凡が一番だなと思います。力量が適切に見えるように育てて欲しかった。お前は出来ると根拠なく言われて、その根拠にドキュメンタリーを見させられても、不安になるばかりです。だからわたしはコーチングが苦手なんですよね。

子供の世代がテレビを持たなくなったのは自然なことだと思います。こんなに無責任なメディアが生活に深く入り込むなんてこと、許せるわけがありません。

わたしもずっと距離をおいて、自分にできることを考え続けています。

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