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20歳が聴くYMO

初めて書く記事

自分は以前から、自分の音楽のイデオロギーのようなものをアウトプットする場所を欲していた。
その欲の裏返し?で、いざ、お初の記事をかこうとすると、どういったテーマを扱おうか、悩ましくなるのである。
最初であるから、「現代音楽と資本主義」のようなでっかいテーマを扱おうかと思ったが、いろいろなところで角が立ちそうであるので、まずは自分が一番書きやすいテーマを書こうと思い、今回のテーマにした。

YMO(Yellow Magic Orchestra)は、1970年代後半発、1980年初頭に大衆化した後は本当に爆発的な人気があったグループである(もちろん今も)。
そのため、1999年生まれの所謂ミレニアム世代の自分が、青春をYMOとともにしてきた方々と、その知識の量で張り合えるわけがないので、論評みたいなことはなるべく避け、YMO自体の説明も特にせず、自分の聴いてて素晴らしいなと思うこと、思ったことを率直に書くつもりである。

YMOとの出会い

僕がYMOを認知したのは、小学生の時。YMOがデビューした頃に小学生をしていた父親の影響だった。

自分は中学生になって、本格的に音楽に興味を持つようになって(音楽に詳しければ他と様々な意味で差別化を図れるだろうと思って)、とりあえず手が出せるだけの範囲の音楽を積極的に聴くようになった。その中で、以前から聴いたことのあったYMOも段々と聴くようになった。

中学生の時に聴いていたYMO

聴き始めの頃はとにかく、耳馴染みのある有名曲(例を挙げるなら、"Rydeen"や"Technopolis"など)を聴きまくった。今考えると、1980年前後の音楽を聴いてる自分かっこいい的なところに終始していた(無論、今もそういうマインドで音楽を聴いているが、、)だけで、YMO自体をディグろうとかそういった考えはあまりなかった気がする。

高校生になって手にしたベスト盤

高校に入り、もう少し、今まで聴いてきた音楽を網羅的に聴きたいと思うようになった。もちろん、YMOも。
そこで、自分は気づいた。自分が中学まで聴いてきたCDは、『ライブ・アット・武道館 1980』で、後期のYMO全く聴いていなかったということに。

そこで、経済的に余裕の出来たタイミングで、細野さん監修のベスト盤、『YMO Go Home!』を手に入れた。
このベスト盤の購入で、(細野さんバイアスがかかっているものの、)初めて、なんとなくのYMOの外枠をつかむことができるようになった。それに加えて、16、17という年齢にもなり、なんとなくのYMOの社会的な立ち位置や歴史的背景のようなものもなんとなく理解できるようになった。

それゆえ、YMOを真剣に聴くようになったのは高校時代(3、4年前くらい)だと言えるであろう。

結局YMOのどこがいいのか

ここまで、自分のYMO遍歴を淡々と書いて、極めてつまらない文章になってしまったが、ここからは、現在では大学生になった自分がYMOのどこに魅力を感じているかを書いてみようと思う。
YMOについて、歴史的出来事として知っているのは、「1980年初頭、YMOが爆発的に人気を博す理由となったのは『公的抑圧』で、逆輸入的に現れた近未来的なテクノ集団に人々が熱狂した。」ということ。この史実からして、人々は当時、YMOの醸し出す「テクノ感」に魅了されていたと推測する(評論家のスージー鈴木さんがそう言っていた)。
(「テクノ感」はよく説明できないが、YMOの楽曲の電子ピコピコサウンド感もしくはロボット感とでも言えば伝わるだろうか)

しかし、自分がYMOをこれだけオールドサウンドだなと思ったりせずに聴いてこられた理由は別にあると思う。それは、やはり、グルーブの存在。
根っこから、細野さん大好き人間なので、エレキにしろシンセにしろ、ベースラインの生み出すグルーブこそがYMOの正義だと思ってしまう節がある。それに、"Cosmic Surfin"だって、1枚目の『Yellow Magic Orchestra』のアルバム音源より、人間味を持ち合わせたライブ音源の方が好み。さらには、ライブ盤でも、『公的抑圧』のギターチャンネル等もろもろ修正音源よりも、『Fakor Holic』の無修正音源でロックが感じられるものの方が好きなのである。

つまり、YMOのロボット感、テクノ感を評して、「いま聴いても新しい。」とか、「現代の音楽より素晴らしい、引けを取らない。」などというような捉え方で聴いているわけではなく、むしろ反対に、YMOがアルバム2枚目、3枚目で取り組んだ、「コンピュータ音楽でいかにノリや人間味を生み出すか」というアプローチが垣間見える楽曲が好きなのである。だからこそ、YMO散解直前あたりのアルバムはあまりリピートしていなかったりする(悪く言えば研究不足)。
もちろん、近年はストリーミングサービスの導入で、それまで毛嫌いしていた「テクノ感」の強いYMO後期のアルバムも少しずつ聴くようになってきているし、1枚目の実験的な楽曲も好きになった。しかしながら、僕がYMOにアトラクトされた原点は、ロック、ヒュージョン、ジャズ等でピカイチのセンスと技術を持った集団が生み出す、YMO独特のグルーブであると断言できる。

最後に5曲選曲

結局、好みは、口で言うよりも曲で示した方が早い。
本当は3曲選ぼうと思っていたが想定以上に絞りきれなかったので、5曲。それぞれの楽曲が社会的、商業的に担った役割などは全く考えず、自分が純粋に好きな楽曲を選んだ。
(順位付けはしません、発売年次順)

・"Cosmic Surfin'"ー『Yellow Magic Orchestra』収録

細野さん作曲、アルバム音源とライブ音源とではまるで違う顔を持つ楽曲。昔はライブの方ばかりを聴いていたが、最近になって実験的なアルバム音源も好みに。
ライブ音源に関しては、特にGreek Theatreでの音源、鍵盤なのにグルーブ出まくりの細野ベースが最高である。

・"Yellow Magic(Tong Poo)"ー『Yellow Magic Orchestra』収録

この曲は、細野さんのベースがゴリゴリに効いているのはもちろんだが、やはり坂本教授のアカデミックな作曲能力がいかんなく発揮されたものである。
それに無修正ライブ盤の渡辺香津美のギターも素晴らしく、まさに「テクノ感」と「グルーブ感」が共存した、YMOの表題曲にふさわしい楽曲である。

・"Absolute Ego Dance"ー『Solid State Survivor』収録

順位付けはしないと言いつつ、一番聴いてしまうのがこの曲。NHKのスコラかなんかでメンバー3人が話していたが、コンピュータによる自動演奏でいかグルーブを出すかを研究した結果生まれた楽曲。幸宏のドラムの精緻さがあって成立する楽曲であり、こんなノリの良い楽曲は後にも先にも出てこないであろう。

・”The End Of Asia"ー『増殖』収録

原曲音源は2分足らずのアルバムのエンディング曲で、あまりこれだけをとって名曲だとは言いづらい。教授の『千のナイフ』収録の原曲も決して手放しにノれると言えるわけではない。しかしながら、ライブとなるとこの楽曲の表情は一変し、唯一無二の楽曲となる。ライブでインパクトを与えてきたYMOの中で、最もライブ映えする曲だといっていいと思う。

・"千のナイフ"ー『BGM』収録

最後が『BGM』からの楽曲ということだけで、上述のように、僕自身の後期YMOの研究不足が露呈しているが、ご了承願いたい。
これも、散々に言ってきたグルーブが「ツボ」な楽曲であり、ライブでの演奏で格段にそれが強まる類のものである。実はこの曲、きちんと聴き直したのがこの記事を書く3ヶ月前ほどで、他に比べて日はずっと浅い。しかしながら、そこからはほぼ毎日聴いているというほど、僕には衝撃的な曲である。

僕は仮にもハタチなので、おじさん(おじさんって言っちゃった)が「YMOって今聴いても新しいよね。」とか言って、YMOと結びつけてなんとしてでも自分の若かった時代を誇らしく語ろうとする姿があまり得意でないのだが、
一応若者の僕自身でも実際に"千のナイフ"を聴いて、鳥肌立っちゃたりするんだから、そう言った観点からしてみれば、やはりYMOの新しさや先見性みたいなものは一定には認められるんではないかと思ったりするのである。

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