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ここ3年の回想とこれからの話

[フキョウワ]の第二回公演が終わって1か月余り。
あっという間にも感じるし、結構長く感じたようにも思う。
公演が終わった後はだいたいこんなもんだが、毎回不思議な感じもする。

会社を辞めてから、で言うと2年と8カ月余り。
2018年の6月に辞めて、そっから1年は主に役者的な動きをして
2019年8月20日に[フキョウワ]を立ち上げて
その年の12月に第一回公演
間に仮想劇場短編演劇祭を挟んで
第二回公演が終わったところ。

正直なところ、焦りみたいのはある。
28歳になって「俺、演出家なるんで」と言って会社を辞めて
世間的に言えばフリーター生活が2年8カ月。割とやばい奴だ。
圧倒的なスキル、生産手段を持ち合わせているでもなく
強力な人脈があるわけでもなく
では、本題の演劇で何かしら実績を上げているかと言われれば
まぁ、そんな一朝一夕にあげれるもんではないとはわかっているけれど
ねぇ。気にしちゃうのが人情ってもんでしょ。

1年間、感染症によって足止めを食らった感もあるけれど、
果たして、感染症の影響がなかったとして、よりアクティブに動けたか?と言われると割と疑問だ。むしろ、感染症の状況下であったからこそ、焦りは強くなり動きに繋がった節さえある。

割とネガティブ目に書いているけれど
辞めたいとかそういうのは全くない。
これからどうなるんだろう、とか
生計立てる手段はどうにかせんとな、とか
結婚とかできんのかな、とか
そりゃいろいろ考えるし、不安になることもあるけれど
まぁ、何とかなるだろうと思ってる。そういう人生への肯定感も割とある。
私のことを心配する人達には申し訳ないと、本当に思っているけれど
どうしようもなくしばらくはこんな感じなんだろうと思う。

第二回公演を経て、自分の思想的(?)変化を強く感じる。
第二回公演があったから、というわけではなくこれまでの積み重ねがあって
その峠にあたる位置が第二回公演だったのだろう、と思う。
人間は変化していくもんだ。変化は楽しい。
この変化が良いものなのか悪いものなのか、それはマクロの視点に立たないとわからない。つまりはそれは未来の私でないとわからない。
少なくともミクロの視点の私は、今のこの変化を歓迎している。
変化できたことはとても良かったことだと感じている。

次の公演に向けた企画も立てつつある。
書き出してみると、8つ以上やりたい題目があって、それ以外にもあとからあとから湧いてくる。その辺では苦労しない。
取り急ぎ、次は銭湯を舞台にした芝居をしたいと考えている。
第二回公演がかなりプライベートな話に寄ったので、もうちょい社会性みたいのも書いてみたいと思っている。

銭湯の話は私の父と祖父の話が主題になる。
そこに銭湯経営に伴う困難や地域コミュニティとしての役割とその衰退
そのコミュニティに取り残された高齢者みたいのが絡んでくる。

大体そんな感じ。

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