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浜田浄の絵画的イリュージョン

1986年、わたしは練馬区の新興住宅地に新設された小学校に編入した。当時、小学6年生。むろん、今からおよそ30年前のことの大半は忘却の海に沈んでいる。だが今でも鮮やかに憶えているのは、体育館の一角で級友らとともに巨大な象を制作したことだ。いくつものダンボールを組み合わせ、表面に絵の具を塗り、四本足で屹立させる。見上げるほど大きな巨像は、子どもたちの手による造形物にしては、なかなかの出来映えだったような気がする。ただ、じつのところ、その完成形のイメージは茫漠としている。むしろ記憶の風景に焼きついているのは、夢中になって制作に取り組んだときの熱を帯びた高揚感である。美術家であれ何であれ、このような協働による造形の経験が原体験としてあるからこそ、人はものづくりに向かうのではなかろうか。

しかし、より正確に言えば、この経験を造形の原体験として記憶に定着させたのは、その制作過程だけに由来しているわけではない。わたしを含む当時の悪童たちは、つくりあげたその巨像を、ほんの数分後には、たちまち打ち壊してしまったからだ。いま振り返ると不思議でならないが、そのように誰かが指示したわけではないし、大切に保存して愛でるという発想もまったくなかった。ごく自然の流れで、みんなでつくったものを、みんなでただ壊したのだ。長い時間と精魂を込めてつくりあげたわりに、ほんとうにあっという間にバラバラに粉砕してしまった。そのとき、かたちあるものを破壊するカタルシスを感じなかったといえば嘘になる。この出来事を造形の原体験として記憶しているのは、制作の達成感だけでなく、そのような後ろめたい背徳感と甘美な陶酔感を味わったからなのかもしれない。

個人的な逸話からはじめたのは、ほかでもない。この子どもたちの狂騒を、やや距離をとって見守っていたのが、浜田浄その人だからである。そう、浜田は長く練馬区の小学校に図画工作の教員として勤めていたが、1986年の一年間、わたしはその新設校で浜田の教えを受けていたのだ。言うまでもなく、当時は美術家としての一面など知るよしもない。けれども美術評論の仕事をはじめた2005年頃だったか、銀座の画廊街で「浜田浄」の名前を見つけたとき、図画工作の先生のイメージに、美術家のそれが上書きされた。冒頭の逸話を紹介したのは、美術家の知られざるダブル・イメージを開示したいからではない。浜田浄の類稀な作品は、イメージの基底に広がる原体験に根を下ろしていると考えられるからだ。

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「浜田の作品には、何を、どう描くかの思考が、当初から存在しない。まず平面(紙・キャンバス・ボード等)を、浜田固有の色彩(黒・赤・白)で、なめらかに幾層にも塗り重ねるという作業の反復。それを彫刻刀や特殊な工具で、削る・切り込む・ひっ掻く・こする・つぶす・抹消する・集積する・反復するなどの行為を、ストイックに、ただひたすらに重ねて、またそれを自在に変容させて、点と線と面の詩情を探る手法である」1。笹木繁男の分析によれば、浜田浄の作品には以上のような構造がある。すなわち、第一に、浜田の視線が、対象の観察や空間の把握には向かわず、平面そのものの加工に注がれていること。遠近法という魔法によって平面の中に仮構された三次元空間にイメージを再現する絵画ではなく、支持体である平面の表面を処理する絵画なのだ。だからこそ浜田は「絵画を描く作家というよりつくる作家である」2と形容されることが多い。

1 笹木繁男「浜田浄年譜②1991〜2014年」『美術運動史』no.143、p24 2 笹木繁男「浜田浄年譜①1937〜1990年『美術運動史』no.141、p15

第二に、その表面の処理にかんして、浜田の手は加算法と減算法を目まぐるしく繰り返していること。色彩の層を堆積させる一方、それを掘削する。前者の身ぶりはいかにも「絵画的」だが、後者のそれは「彫刻的」と言ってもいい。油絵具をキャンバスに盛る油彩画であれ、顔料を和紙や絹に浸潤させる日本画であれ、従来の絵画的描写が加算法で成立しているとすれば、浜田はあえて減算法を導入することで、それを根底から見直したのである。

第三に、浜田の手わざが、きわめて原初的なものであること。削る・切り込む・ひっ掻く・こする・つぶす・抹消する・集積する・反復するなどの行為は、子どもであれ老人であれ、人間にとっての基本的な身ぶりである。それゆえ身体動作の点に限って言えば、それはアウトサイダーアートやアール・ブリュットに近いのかもしれない。だが浜田にとっての単純な反復行為は、むしろそのような様式や運動から距離をとりながら、絵画の原点を問い直す作業だった。「浜田浄はそれらの要素からどのようにして絵画を立ち上がらせ得るかを自らに問いかけ、その問いを耐えざる実践へと折り返しながら表現原理を組織化することで、自前の足場をじっくり踏み固めてきた画家」3なのだ。

3 三田晴夫「基本に徹し新境地開く」『浜田浄』シロタ画廊、2011年

色彩、線、形態、あるいは構図。浜田浄が類稀なのは、このような絵画の成立条件を、平面の「上」ではなく、言ってみれば平面の「中」で問い直したからだ。平面という支持体を自明視したまま、その上にさまざまなイメージを開陳する多くの画家とは対照的に、浜田は平面の上に表層を積み上げることで平面の厚みを増し、同時に削り出すことで平面の中に分け入る。4Bの鉛筆を紙面に均質に塗り込めた作品にしても、黒鉛は平面の上に堆積しているというより、むしろ平面の中に押し込まれているように見える。むろん、こうした言い方はレトリックにすぎない。けれども、浜田は遠近法的なイリュージョンや再現的なイメージを退けながらも、それとは異なるマジックを平面に見出したのではあるまいか。

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美術史ないしは絵画史において、このように「平面」に焦点を当てたのは、言うまでもなくクレメント・グリーンバーグに代表されるフォーマリズム批評である。グリーンバーグはモダニズムを自己批判が強化していく歴史としてとらえた。「モダニズムの本質は、ある規範そのものを批判するために──それを打破するためにではなく、その権能の及ぶ範囲内で、それをより強固に確立するために──その規範に独自の方法を用いることにある」4。すなわち、芸術固有の方法論によって芸術の本質を問うことこそ、モダニズム芸術であるとした。絵画の固有性は二次元の平面性に求められるため、彫刻と共有される三次元的な空間性や文学と共有される物語性を平面から徹底的に排除したのである。

4 クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」『クレメント・グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005年、p62

浜田浄の作品は、彫刻的な三次元性や文学的な物語性を見出すことができないという点で、グリーンバーグのいう「メディウムの固有性への純粋還元」の要件を満たしている。平面の上でイメージを開陳するのではなく、平面の中で絵画の本質を追究するというマジックを仕掛けている点も、ポロックやロスコ、ピカソに見受けられるような、平面でしかないえない純粋に絵画的なイリュージョンを激賞したグリーンバーグの見解に沿っているといえよう。しかしながら、浜田の平面作品が醸し出す絵画的なイリュージョンの質は、グリーンバーグの想定をはるかに超えているのではないか。

浜田浄の平面作品から生まれる絵画的イリュージョン。それは身体性の発現にほかならない。むろん、平面の表層を削り出す作品は、その荒々しくも緻密に残された刃の痕跡が、必然的に肉体のストイックな反復運動を想起させている。いま「痕跡」と書いたが、むしろ「傷跡」と言い表したほうが適切ではないかと思えるほど、それらは肉体的な生々しさを感じさせてやまない。つくりだされた画面は紛うことなき抽象だが、その背後には浜田自身の肉体の持続的な運動性がイメージとしてたしかに感じられるのである。

だが、それだけではない。鉛筆の黒鉛を塗り込めた作品にしても、強烈に身体性が立ち現われている。しかもこの作品の場合、平面の表層を削り出す作品とちがい、肉体の運動を物語る「痕跡」なり「傷跡」は一切見当たらない。鉛筆が紙面を走った痕跡は、ストロークの運動性を目視で確認できないほど均質に塗り重ねられているからだ。萬木康博によれば、浜田は鉛筆を往復させるのではなく、一方向にしか走らせていないという5。肉体が物理的に現前化しているわけではないにもかかわらず、肉体の気配を体感させること。その矛盾を可能にする魔法こそが、浜田浄の作品で味わうことができる絵画的イリュージョンの醍醐味にほかならない。

5 萬木康博「なぜ鉛筆ドローイングだったのか」『浜田浄 鉛化した紙』ギャラリー川船、2014年

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重要なのは、そのような絵画的イリュージョンの基底には、フォーマリズム理論のような原理ではなく、むしろ風土が根づいているという点である。むろん、何かしらの土着的なイメージが平面上に表されているわけではない。浜田自身の内面に風土が分かちがたく組み込まれているのだ。生まれ育った高知県の入野の原風景を念頭に置きながら、浜田は幼少時代を次のように振り返っている。

「心に刻まれているのは形ではなく、肌に感じた風や潮の匂いなど、目に見えないものでした。〈風景〉は風と景(形)と書くが、僕は〈風〉の方に関心を持つようになりました」6。

すなわち、目に見えるかたちではなく、不可視で非定形のもの。浜田にとっての風土は、風景画で描き出されているような具象的な景色ではなく、その土地に立ち込める気配や雰囲気、つまりイメージなのだ。巨像というかたちではなく、協働制作の高揚感が原体験になるように、イメージとしての風土を原風景としながら絵画的イリュージョンを実現させることはできる。浜田浄の抽象画は、誰でも持ちえているはずの風土によって、理論から平面を解放する契機を示しているのである。

6 浜田浄「原点は入野の風とにおい」『高知新聞』2004年5月25日夕刊


初出:「浜田浄の軌跡 重ねる、削る絵画」図録、練馬区立美術館、2015年


浜田浄の軌跡 重ねる、削る絵画
会期:2015年11月21日~2016年2月7日
会場:練馬区立美術館

#浜田浄 #美術 #絵画 #アート #福住廉


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