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今日の限界芸術

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駆け抜ける衝動 ─鶴屋団紅の原始落語と鶴見俊輔の限界芸術

詩とはなにか。それは現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうのことをかくという行為で口に出すことである。 ──吉本隆明 一 恵比寿のチンピラ落語 二〇〇八年一二月二八日──。年の瀬が迫った慌しい日曜日の夜、東京は恵比寿の外れにある古びたアパートに、一風変わった高座が出現した。六畳ほどの和室には真紅の敷物が敷かれ、壁には掛け軸や額装された書、隅に置かれた行灯が暗い室

[インタビュー]評論家の仕事とは? 第三の領域が未開のまま残されている  福住廉氏インタビュー

聞き手=須藤巧[図書新聞編集長] 「限界芸術論」の射程  ──初の単著出版おめでとうございます。本書の眼目は、タイトルにもありますが「限界芸術」です。これはもちろん、鶴見俊輔さんの『限界芸術論』(勁草書房〔一九六七年〕、ちくま学芸文庫〔一九九九年〕)をふまえているわけですが、「今日の」限界芸術となっています。福住さんはご自身で「いろもん美術評論家」と名乗っていますが(笑)、限界芸術とは、大文字ではない芸術であり、世俗的なものであり、素人的なものでもあるわけですが、福住さん

ヴァナキュラーと限界芸術─2000年代以後の日本現代美術の状況

現在から過去15年のアートシーンを振り返ったとき、もっとも大きな特徴は、時代を象徴するほど強力なムーヴメントがきわめて乏しいという事実である。「スーパーフラット」(2000年)、「マイクロポップ」(2007年)以後、そのような突出した流行現象は日本のアートシーンには見られなくなった。少なくとも戦後美術に限ってみても、「反芸術」、「もの派」、「ポストもの派」などのカテゴリーが美術史を更新してきた一面を鑑みると、ついに歴史の終焉が到来したような悲観的な印象を禁じ得ない。だとしても

追悼・鶴見俊輔 柔和と憤怒、雄弁と沈黙

鶴見俊輔さんには、生前一度だけお目にかかったことがある。『限界芸術論』について、どうしてもお尋ねしたく、2008年の夏、無理を言って京都で取材をさせていただいたのだ。わたしは、あの鶴見俊輔を前にするなり緊張で固まったが、当の鶴見さんはクリームソーダをおかわりするほど饒舌だった。これまでほとんど振り返ることのなかった『限界芸術論』について、じつににこやかに語ってくれた。そうかと思うと、突然深い怒りに燃えた瞳に一変し、静かに語気を強めることもあった。まるで柔和と憤怒の表情を併せ持

「限界芸術」鶴見俊輔の予見

哲学者の鶴見俊輔が先月、亡くなった。この偉大な思想家が果たした功績はあまりにも幅広く、深い。芸術や美術の分野で言えば、何より「限界芸術論」である。 鶴見は、芸術概念を三つに分けて考えた。専門家同士でやりとりされる「純粋芸術」、同じく専門家がつくり、非専門家が消費する「大衆芸術」、そして非専門家のあいだで交わされる「限界芸術」である。純粋芸術として絵画があるとすれば、大衆芸術は映画であり、限界芸術は落書きとなる。 一般的に、庶民にとって芸術は日常生活からかけ離れていることが

[記録]今日の限界芸術百選展

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」の特別企画展「今日の限界芸術百選」のアーカイヴです。 基本情報 会期 2015年7月26日[日]〜2015年9月27日[日] 時間 | 7月26日〜9月13日 900〜1900/9月14日〜9月27日 1000〜1700 会場 | まつだい「農舞台」ギャラリー[新潟県十日町市松代3743-1]、北越急行ほくほく線まつだい駅、美佐島駅 料金 | おとな600円、こども(小中学生)300円 主催 | 大地の芸術祭実行委員