noteの"つづけ方"は、”やめ方”にあり

noteの”つづけ方”について書かれている方は数多いらっしゃいますが、noteの”やめ方”を書かれた方は少数派であると思いまして、筆を執りました。

noteの”やめ方”、考えたことはありますか?

冒頭から書いている通り、”つづけ方”や”つづける目的”を考えることがほとんどではないでしょうか。

視点をずらすと、”生き方”を考えることはあっても、”死に方”を考えることはほとんどないのと同じですね。

”死に方”と書きましたが、もちろん「自殺」ではありません。

悔いなく、満足した状態で寿命を迎える”死に方”です。

”noteのやめ方”は言い換えると”noteでの死に方”になりますね。


どんな時にnoteをやめるのか。
何を成し遂げたらnoteをやめるのか。
どうしたら後悔なくnoteをやめられるのか。


”やめ方”であり”死に方”、考えてみませんか。


「1000日連続で更新したら、満足してnoteをやめられる」かもしれませんし「書籍化して○部売れたら、後悔なくnoteをやめられる」「書き続けたことで生き方を見つけられたから、noteをやめる」などかもしれません。


クリエイターの数だけ、noteの”やめ方”は存在します。


ここまで読まれてお気づきかと思いますが、”つづけ方”も”やめ方”も「目的」があり、イコールです。

「目的」が同じであるのに不思議なもので、”つづけ方”よりも”やめ方”のほうが、重みがあると思いませんか。

さらに不思議なもので「やりたいことを成し遂げるために続けよう」と思うよりも「やりたいことを成し遂げて終えよう」と思うほうが、頑張ろうと思えてしまうのです。

どっちも同じゴールであるのに、”やめ方”のほうが走りやすいという感じでしょうか。


noteの”やめ方”、考えてみましょう。






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