結局誰しも依存体質で、依存は悪じゃないって話#福ログ【Vol.56】

ギャンブル依存、アンコール依存、タバコ依存…などなど、さまざまな依存があって、一般的に「依存は悪」、そう考えられている。

「依存は悪」と言うが、先に挙げたようなものは、その行為自体が何かしら有益なものを生み出さないから、タバコに関しては有害物質を生み出すから、お酒は生活に支障をきたすから「悪」と考えられているのだろう。

そう考えると、行為の先のモノが「悪」であって、依存自体は「悪」ではないと思う。

悪だろうが、そうじゃなかろうが、自分は依存と関係ないって?

本当にそうだろうか。

周りを見渡すと、ずっとスマホを操作している人、いつも動画を観ている人、ずっと誰かを想う人、など、何かしらに熱中している人がいる。この熱中も依存と言えるはずだ。

そして自分を見直してみるとどうだろう。何かに依存しているのではないだろうか。日常でなくてはならない何かを持っているのではないだろうか。

きっと何かしらに依存しているはずだ。

でも、冒頭に伝えたように、それ自体は「悪」ではない。むしろ、拠り所があってそれで心身ともに安定出来て、社会生活を送り続けられるなら「善」である。

誰かに頼り続けるもよし、いつも動画を観るもよし、ずっとゲームをするもよし、仕事に熱中して仕事漬けもよし。

そういう私は「note依存」であると言える。今日まで56日連続でnoteを更新してきた。

何か「悪」を生み出しただろうか。おそらくないはずだ。

依存自体は「悪」ではない。ものによっては「善」だ。

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