見出し画像

いのちのよころび

台風が過ぎ去って怯えていた夜が明け、目張りしていた段ボールを窓から外し、1日ぶりに部屋に光が差し込む。たまった洗濯物を干し防災グッズを片付けながら、嬉しくなって4回もティータイムにした。

休みすぎじゃない?、ここまで頑張ってからにしよう、仕事たまってるよ。

いつもならささやいてくる頭の声も、今日は鳴りを潜めている。

不安におびやかされないこと、青空が視界に入ること、とりあえず家族や身近な人達も無事だったこと。良かったなあ。

この感覚が心にしみこむまでゆっくり待つんだ。少しせかしたところで、何が生まれるというのだろう。お茶を飲みまくっていても!マイペースに歩いていけば、きっといい場所にたどり着くさ。

美しい湖畔にたたずんでいるかのような穏やかな気分。怖かったからこそ、台風が明けたらこんな気持ちになった。

ぎりぎりの状態を経験して気づくことというのは往々にしてある。

先月風邪をひいた。何も食べたくない日が続いて、寝るのにも飽きた3日目の深夜、急にカボチャのスープが食べたくなった。家にあったカボチャを蒸してミキサーでつぶして、玉ねぎのみじん切りをいれて火にかけたら、綺麗な黄色のスープができた。大匙のスープンで口に運ぶとすごく美味しかった。

よし、いける。これから少しずつ回復していくだろう。食べられた。美味しく食べられた。それを自分で作れた。ああ、食べられる喜びって、こんなに大きなものだったのか!。光を感じた。

寝込んでいたときに、ふと、ラジオからでんぱ組.incの「いのちのよろこび」という曲が流れてきた。POPでお祭りソングのような賑やかなメロディーに、アイドルがドスの効いた声で合いの手をいれている。

ラジオに出演していた、でんぱ組のプロデューサーの“もふくちゃん”が言っていた。これまで宇宙から地球を眺める視点で曲を作ってきたけれど、宇宙人が突然人間になって、生きていることのよろこびに目覚めたんだ。それを民族音楽風に表現した、と。

体が弱っていたせいもあり、いたく共感した。

そう。いのちのよろこびだ。

前代未聞の進路で台風が通り、天災が増えている。社会保障制度はおそらく成り立たなくなり、大企業は改めてリストラを始めた。なにもかも予定調和ではいかなくなる。生き抜くための正解は、どこにあるのだろう。

不安になればきりがない。でも、今、体は生きている。考えすぎれば、限りある命を傷つけることと同じかもしれない。

多くの災難を経て、人の意識は、シンプルに「いのちのよろこび」に向かっていくと思う。それが唯一の羅針盤だから。それでいいんだろうな、って思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?