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顔を上げて余白を愛そう

旅にでている。

2日前に飛行機のチケットをとって、宿の確保も十分でなかったけれど、今の時代、スマホがあればなんとかなるものだ。

次の日の予定もあまり決めていないのだと、入った居酒屋の店主や電車で隣り合わせた人に話すと色々熱心に紹介してくれる。どれもありだなと思って一生懸命話を聞く。すすめられた場所に行ってみる。連れて行ってもらう。どこにもない旅が紡がれていく。

計画がないことの意味がある。もし旅程をびっちり組んでいたら、お気をつけてね、で終わっていたかもしれない。先の計画が曖昧でもよしとしてご機嫌に過ごし、そこでの出会いに影響を受けながら変わっていく。

でも任せっぱなしではない。時々意思を示す。「ここにだけは立ち寄りたいんです。」地元の人も驚く。「え、そんな場所があるんですか。全然知らない。」私はちょっと誇らしい気持ちになってどんな風に素敵なのか伝える。いつか、行ってくれるかもしれない。

旅にでた理由は行き詰まりを感じたからだ。正月に別れて旧姓にこわごわと戻って、感情に振り回されていた部分や不規則な生活を正し車の免許もとった。

でも懸命にやればやるほど至らないところが目につく。

半年で成果と言えるものがあっただろうか?とんちんかんなことをやっているのではないか?これからどうやって稼いでいこうか。一体、私は何ができる人間なのか。周りに比べて中途半端なものしか持ち合わせていないようで自信をなくす。おまけに車もぶつけてしまった。

お得意の自問自答が始まって毎日の努力がちっとも良いと思えない。その先の未来を描く元気を失いかけていた。だから気分を変えようと尻を叩くように旅に出た。

旅にでると時間の感覚が変わる。

昔、高校の現代文の授業で時間の捉え方には2つあると習ったことがある。直線的な時間と曲線的な時間だ。直線的な時間は左から右へまっすぐ伸びていく。これに対して曲線的というのは螺旋階段のように同じ場所を上へ下へ行き来する。

直線的な時間では目的を持って積み重ね向上心をもって成長していくことが当たり前に是にされる。達成感は時々あるかもしれないが、その終わりない重みに負けそうになった。だから旅を使って曲線的時間へジャンプするのだ。

曲線的な時間をイメージすると、はっきりした目的はいらない。つっこみどころ満載の状態でしっかりとその場にいること。出会った人を信用し状況に委ね欲張って考えない。”前に進む??前って一体どこのことだろうか・・・” ただ経験が積み重なるだけ。

そういうあり方をすると、今というひととき限りの時間が美しく色気をもってたちのぼる。計画や不安に気をとられ目の前のことに心を開けないとき、もしかしたらそれはとても失礼なことをしているのかもしれない。今という無限の可能性がある、一瞬に対して。


帰ればまた日常が始まる。取り組みたいことが沢山ありtodoリストが増えるだろう。

ただ、この旅の記憶を頼りに、できていない部分を否定的にではなく、少し優しく眺めることができる気がする。余白があるまま存在し続けるからこそ、誰かと出会い、次に転がり、未知の未来を招くのだ。

顔を上げて余白を愛そう。

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