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『泥海古記について』

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こんにちわ、福之助福太郎です。
前回に続き「十全の守護」について、今日は蔵内数太さん(大阪大学名誉教授・文学博士)の『泥海古記について -中山みきの人間学-』(赤心社、1979年)を紹介したいと思いますが、初めての方はまずこちらをご覧ください。

今回のポイント

著者は教外の方

層位解釈
陽気ぐらしへ

内容に入る前に

僕はこの本を読むまでは著者について名前も知りませんでしたが、本のそでに載っている文章から内容に興味を持ったので紹介します。
また、あとがきにも素晴らしい文章が載っているので一部抜粋して紹介します。

(表そで)
 碩学、蔵内数太博士は理論社会学の権威であり、宗教社会学を専ら研究してきた私とは六十年来の旧友である。
 博士はその社会学理論の展開にあたって、東洋思想や日本文化の伝統をつねに考慮している点が一貫した特徴である。
 東洋の中の日本に生まれ育った天理教の研究には打って付けとさえいえ、本書に展開されている元に理についての哲学的解釈学は、博士の学識ならばこその感を強くする。学ぶべき多くの示唆がある学問的労作である。天理教学の発展にも多く寄与し得るかけがえのない内容であろう。ぜひ味読されることを勧めたい。
  学士院会員 文学博士 古野 清人
(裏そで)
 蔵内数太先生の二回にわたる講演を拝聴した。教外の学者で、蔵内先生ほどまともに「元初まりの話」に取り組まれた方を知らない。
 現在、御自身の著作集全五巻刊行の最中で、御多繁であるにもかかわらず、多くの時間をさかれ、真摯に取り組まれた姿に接し、まず深く敬意を表したい。私たちが気付いていない多くの点、真実を指摘されたように思う。本書に触発されて天理教学が発展することを望みたい。
  はや/\としやんしてみてせきこめよ
  ねへほるもよふなんでしてでん  五号 64
のお言葉が想起される。
  天理教前表統領 中山 慶一 

あとがき(嶋田進治郎) 一部抜粋
 私たち天理教人の間には、「古記」についていろんな信仰解釈、悟りがありますが、本教の基本教義書としながらも、その教え、思想の筋道だった統一的全体的な理解、解釈がいまだ確立されているとはいえないのが現状でありましょう。
 教外の人の多くは、「古記」を荒唐無稽なお伽噺のように受けとめ、その思想内容を理解する糸口もつかめず、本教を原始的宗教のように思っているのが現実でありましょう。しかし、その責は、「古記」に関する理解の糸口をも提供しえない私たちにあるのではないでしょうか。
 古今東西の文化、思想について造詣の深い教外人である先生が、ここ数年来、学問的関心からでありますが、「泥海古記」にまともに取り組まれ、その中に暗示されている解釈の方法論をえぐり出し、深い学識を縦横に駆使され、オリジナルな「泥海古記」の哲学的解釈学を展開されたのであります。元の理に学問の光をあて人間学としてでありますが、本教の基本的教義の解釈、教理学上に学問的基礎の一端、方向が提示されたように思えるわけです。
 本書によって教祖の教えが更に深く理解され、本教の教理学の展開が促され、ひいては教外の人に、就中識者の人々の本教信仰の理解の糸口が開かれ、対話が一層盛んになれば幸だと思います。

『泥海古記について -中山みきの人間学-』について

この本は、昭和53年に大阪教区教学部の2回にわたる研修会において、「泥海古記」をテーマにした約5時間の講演を基に作られたようです。
その数年前から「古記」の思想内容に特別な学問的興味をもたれていたようで、道友社刊行の書籍への「元の理」の解釈の掲載やよのもと会主催のおやさと研修会の教理講座での講演もされていたそうです。

目次(大見出しのみ)

一  はじめに
二  人間学
三  東洋の人間学
四  啓示宗教
五  「泥海古記」
六  象徴的表現
七  易
八  地と天
九  種と苗代 陽気ぐらし
十  道具
十一 道具解釈の方法
十二 天理人欲
十三 人間の構造
十四 六つの道具と人間
十五 六つの道具と人間(承前)
十六 まとめ
十七 人間の生成
十八 精神史的背景
資料一 元初まりの話
資料二 神の古記
あとがき(嶋田進治郎)

易について

今回も「十全の守護」に関する内容に絞って紹介していきますが、についての内容も面白かったので紹介します。

【易】
・元々は占いの本だが、占うには何かの基礎が必要で、基礎とは過去の事実から学んだ法則的な知識。○○の条件があるから今後はこのように進行するであろうと予測するのが本当の意味での易。
・世界の一切の現象を陰と陽の二元で解釈し、陰の要素と陽の要素の組み合わせの仕方で多様な事象を区別しようとする。また、陰から陽に、陽から陰にとさまざまに入れ替わり、現象が停止しないと考えるのが易で重要な点。
:暗、夜、地、女 など
:明、昼、天、男 など

陰を示す と、陽を示す の三本の組み合わせ8種類=八卦
陽陽陽:乾(西北)=
陰陰陰:坤(西南)=
陰陽陽:兌(西)=
陰陰陽:震(東)=
陽陰陽:離(南)=
陰陽陰:坎(北)=
陽陽陰:巽(東南)=
陽陰陰:艮(東北)=
(24-26頁)

これを「十全の守護」の図式に当てたのが下図です。
易など古来の習慣では、自分の位置を北にして、向こう側の開かれる方角を南にしていたようで、そのため南を向いた書き方になっているそうです。

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天地でなく地天

続いて易をもとにした天と地についての考察も面白かったので紹介します。

・『泥海古記』の冒頭は泥海という地上のものと、月日という天上のものが出てくる。つまり天と地として互いに離れたものが同じ場所に出合っている姿という表現。
これを易では「地天」と言い、この組み合わせを「泰」と解する。
・天は上に昇ろうとするもの、地は下に沈もうとするものなので「天地」だと上と下が離れて永久に交わらず、交わらないところからは何物も生まれてこない。そのため「天地」は「」と解する。「地天」なら出合い、交わってものが生まれる。生産というものは全て交わりから起こる
・『泥海古記』の最初の泥海と月日はまさにこの「地泰天」で、これから人が生まれる出発点人間誕生の最初を語るにふさわしい話。 (30-33頁)

道具の層位解釈

そして次に東西に配された道具についての考察を紹介します。

・南北の方角は人間を生む親の方角創造する二つの要因で、東西各三方面に道具が配されている。
【東側の道具】
ふぐ:切る道具→生命の有限性
うなぎ:飲食・出入り→選択的な行動の象徴
かめ:ふんばりの強いもの、つなぐもの
【西側の道具】
しゃち:威勢のよい、突張るもの
くろぐつな:生れ出るものの引き出し役
かれい:息の吹き分け、物言うこと
(42-43頁)

(1)方角を対極で見て反対的であり相補的な関係だという解釈は、普段「十全の守護」を考える時の"二つ一つ"と同じなのでここでは省略します。

(2)動物の形状で見ると、
①かめ・かれい:平たいもの
②うなぎ・くろぐつな:細長いもの
③ふぐ・しゃち:太く分厚いもの
となり、その三層を人間的動物的植物的の三段階と捉え、そこに上記の道具の解釈から、
実体、属性
相互作用
因果関係
を対応させたのが下図です。(47頁)

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ちなみに人間的、動物的、植物的の層位観を簡単に説明すると、
物体:物質性のみ
植物(生物):物質性+生命
動物:物質性+生命+知性
人間:物質性+生命+知性+精神
となるようです。(49頁)

また、東側は
ふぐ:個体性
うなぎ:自主・自由性
かめ:自己維持性
という「」に関する事で、
西側のしゃち・くろぐつな・かれいはどれも他者との関係に関する事と言えるとも説明されています。(77頁)

「元初まりの話」の展開的本質

さらに、

・教祖が「元初まりの話」に対して、「これでよいとは言われなかった」と言われている。
・「元初まりの話」はまず、人間の身体における天与の恵みを説き、そこに社会的、文化的生活を営む本質を持つ人間の規定も含蓄していると理解できる。
という事から、
・「元初まりの話」は、相手によって、時代によって表現が変わってくる本質のもの、あるいは内容が永久に展開してくるものではないか。

とし、そこから「元初まりの話」には展開的本質があると考え、その立場から下記の私解の試みに続きます。(60-61頁)

六つの道具から見る人間性

ふぐ:胎縁・寿命の二つの切断=独立の生命体:個体性
↕対極
かれい:風の吹き分け、言葉=コミュニケーション:社会性

しゃち:威勢の強いもの、骨突張り=生きるための積極的な活動:積極性活動性
↕対極
かめ:ふんばりの強いもの、安定した形で倒れにくい=維持の象徴:消極性自己同一性の維持

うなぎ:飲食、出入り自在=行動の代表、主体的な選択:自由主体性
↕対極
くろぐつな:引き出す役=進んで他を助長する、他者への依存:依存性

という事が言え、
【太い:個的統一体→生き物が生き物である機能性】
【細長い:方向→選択的に行動する主体、相互に依存し奉仕し合っている存在】
平たい:広がり→社会的・自覚的人間、構成力を持ち文化を産む人間
つまり、
植物的層(全ての生き物に共通の性質):生の個体性とその活動性
動物的層:自由な主体性互いに奉仕し依存しあう性質
人間的層:自己のアイデンティティーを守り認識・構成・コミュニケーションの力を発揮する性質

という考察をされています。(61-79頁)
また、個人的には
太い:
細長い:
平たい:
と表現しても解釈が広がりそうに感じました。

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「陽気」への展開

ここまでの話をまとめて、

・人間は時間的、空間的に限界付けられている個体で、能動性を持つ。
・その上に主体性を持ち、他の主体と相互関係にあり、その主体性は自分自身にも向かっていく。
・ここに至って初めて人間は人間らしくなり最後の段階として言葉があり、やがて文化の花が咲く前提になる。
・ここに開いてくる人間の真に自覚的な自由と、それに基づく文化の展開、これも「陽気」への展開と言える。
・「陽気ぐらし」は究極において、生命主義即文化主義の主張と理解しても良いのではないか。(80-81頁)

と表現されているのも段階的でとても分かりやすく、「陽気ぐらし」のダイナミックな表現だと感じます。
またそれを踏まえて、

・「元初まりの話」は、人間の持っている性質生きる上での要件を、卑近な動物によって示している。(81頁)
としているのもシンプルかつ素晴らしい表現だと思いました。

最後に

100ページ足らずの本ですが、内容がとても斬新で面白く紹介も長くなってしまいました。
この本では、「十全の守護」で言われるところに関して、人間の身体的機能だけでなく、陽気ぐらしができる存在としての人間の性質のデザインについても考察されていて、「十全の守護」に対しての認識が広がったように思います。
また、前回紹介した『元の理を考える』と、配置は違いますが似た観点から考察されているところも興味深いポイントでした。
この本も教会によっては本棚にあったりすると思うので気になった方は探してみてください。

次回も「十全の守護」に関わる内容の予定です。
お付き合いいただきありがとうございました。

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