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私の発達障害から考えた配慮とは

おはこんばんにちは。今回は発達障害と配慮について記していきます。この写真がポイントです。

初めに、私はだいたい15年前、まだ発達障害があまり知られてない時に診断をうけました。診断されたときは??な思いと珍しいカタカナ名にカッコよさを感じたからか不思議な気持ちでした。「自分レア人間だ!」と。実際はキラキラ名?に反してなかなかなものでした(今も寛容してきてるものの現実突き付けられて辛いこともあります。)

まず発達障害とはなんぞやーこちらをクリックしてください

何が辛いのでしょうか。私の例から見てみましょう

私はその一つ、自閉症スペクトラム障害を持ってます。リンク通り、コミュニケーション能力に関する障害で私の場合、雑談や相手のニュアンスを把握はできるものの(出来るまでトレーニングをしたりと時間はかかりました)他の方と比べて脳への負担が大きく疲れやすいです。そのためか、抽象的な言葉や励ましが理解できず悩んだり、深追いしすぎて燃え尽きてしまうことが現在もあります。そのため、職場に迷惑をかけてしまうこともあります。結果、自己肯定感が下がり、自己嫌悪になります。対処療法として処方せんと書くことで自分を整理したりと模索の日々です。他の人より模索する回数が多いことも辛いと感じる一つです。


これは私だけ?かと最近思ってましたが違うことにようやく気が付きました。当事者にとっては障害者雇用であろうがなかろうがこれは避けては通れない課題であります。私の場合、フリーランスに近い形(団体立ち上げ講演者でもあり雇われでもある)かつオープンで障害を開示してますがやはり自分で思い悩むことは当然あります。つまり、どんな形態であれ、働いてる限りは下降線をたどったり壁にぶち当たるのはもう避けられないのです。


壁にぶち当たることは他も(ここでいう健常者)と変わらないのでは?おっしゃる通りです。そこは障害者あろうがなかろうが関係ありません。ただ、悩んだり上手く表現できなかったりするが故にプラスαが必要なのがこの障害のミソです。果たしてプラスαとは何でしょうか?

思い浮かべる1つとしてずーっとサポートしないといけない!とイメージしますが、就労経験がある場合、そこまで深く考える必要はないかなと考えます。それを実行するとむしろ共倒れになります(なぜ共倒れになるかというとこれは後日詳しく記します)簡単なことで大丈夫です。例えば、配慮の一つとしてスモールスペースを設置しそこに簡易なマットを敷き昼休み横になるようにする、昼休みは一人でいることが出来るように配慮する、振り返りを数分以内にする(簡単な会話程度で大丈夫)否定せず傾聴してから議論するなどなど、言い出すとキリがありません。言い換えると配慮のヒントは身近なところこそあるのです。書店に置いてある対応本を読み漁る必要はありません。総合的に書かれてる本1冊または先程リンクした内容で十分です。受験シーズン真っ只中。よく聞きませんか?「参考書たくさん買って解くより基礎が含まれてる一冊を完ぺきにすべき」これと同じです。当事者が芽だとすると知識は土ーいわゆるベース、身近なヒントは肥料。それがマッチしてはじめて配慮という養分となり芽が伸びていく。耕すセオリーがぐちゃぐちゃが故に共倒れになり健常者と障害者との溝が深くなる。そう感じております。写真のニュアンスはこういうことなのです(笑)

長くなりました。今回はここまでです。最後までお付き合いいただきありがとうございました


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