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類似したものごとの相違点(2)検定試験と入学試験はどう違う?

ここのところ論争が激しくなっている、大学入学共通テストへの記述式導入問題。いろいろな意見が交わされていますが、1つの疑問がありませんか?

それは、

「1次(共通テスト)では記述を課すべきでない」と言っている人も、「2次で課すのはよい」と言っているのは一体なぜなのか?

――ということです。
その答えは明白です。

共通テストは、いわば「検定試験」。
それに対して、2次試験は「入学試験」。

両者は、目的が違います(ふくしま式「7つの観点」の1つ、「目的手段の観点」でとらえています)。

検定試験の目的は、受検者の能力を公平公正に測定すること。
入学試験の目的は、もちろん、「わが大学」にふさわしい学生とそうでない学生とを識別すること。

つまり、
検定試験は、基準が客観的でなければならない。
入学試験は、基準が主観的でもよい。
そういうことです(7つの観点の1つ、自他の観点でとらえています)。

え? 入学試験でも客観的基準が要るんじゃないの。と思うかもしれません。
もちろん、ある程度の客観性は必要です。
しかし、極端な話、書かれた文章を読んで「お、こいつ、面白そう。うちの大学に来てがんばってほしい」なんて思ったら、合格にさせてもいい。

私立大学はむろん、国公立大学であっても、それぞれの大学の独立性は重視されるべきです。
大学の個性があるのなら、学生の個性もある。
学生の個性があるのなら、採点基準も「個性的」でよい。

これは、必然的に出題形式にも影響します。

共通テストでは、答えが明確に絞り込まれなければならないため、(プレテストで既にはっきりしているように)設問にさまざまな「条件」を付す必要が出てきます。

一方、東大の入試国語などは、どうでしょうか。
「傍線部は、どういうことか」「傍線部は、なぜか」といった、ひとことしか書かれていません。

こういう出題形式の差が、先に述べた相違点を証明しています。

検定と同じく、高度に客観的な採点をせねばならない1次試験(共通テスト)。
入試である以上、主観的な採点も許容される2次試験。

そんな中、大学入学共通テストは、冒頭でも述べたように、記述式設問の客観的な採点の難しさが各方面から指摘され、取りやめるべきだ、あるいは延期すべきだといった声が、教育界のみならず政界からも上がっているのです。

あなたは、どうお考えですか?
是非の判断規準は、ただ1つ。
具体的な「答案」を見てみることです。
そして、その採点がいかに難しいかを、実感してみることです。
そのために書いたのが、この記事です。
大学入学共通テスト 国語の記述採点がいかに困難を極めるかを明確にする」(約1万字)
お時間ありましたら、ぜひお読みください(全文無料)。

なお、今回の記事は、無料メルマガNo.176で配信した内容の一部を少し修正したものです。

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