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#243 伊藤時男さんとの対話

講義のゲストスピーカーで伊藤時男さんのお話を聞く機会がありました。

伊藤時男さんは、東日本大震災によって”自由を得た”方です。


福島県沿岸部にある双葉病院に40年近く精神入院。

震災が起き、被災によって転院を余儀なくされ、転院先で「ここにいるような人じゃない」と言われすぐに退院。

現在は、ピアサポーターとして講演活動を行う傍ら、精神医療国賠訴訟の原告団として国と闘っておられる方です。

生きて、ソーシャルアクションしていることが奇跡のような人です。

病院のPSWなら誰もが知っているんじゃないでしょうか。

僕が初めて伊藤さんを知ったのは、ハートネットTVを観たとき。

心が締め付けられる思いがしました。

昨年の国連勧告で示された通り、日本の精神医療・脱施設化施策が諸外国と比べてとても遅れています。

全ての精神科医療が悪いわけではありません。かなり開放的な精神科医療もあると聞きます。

しかし、伊藤さんは、旧態依然の日本の精神科医療の被害者というわけです。

伊藤さんは、まるで地域のおじいちゃんのような口ぶりで語るのでした。

・少年時代から脱走してばっかりだったこと。

・仕事は長続きせず、転々としていたこと。

・仕事仲間に恋をして、躁状態になって変な告白をしたら父に入院させられたこと。

・病院を2回脱走したこと。

・脱走時ヒッチハイクしたらその車が事故にあってすぐ再入院になったこと。

・父にこれ以上迷惑はかけられない、と、その後、脱走しないと心に誓ったこと。

・入院中は、何十年も「院外作業」として養鶏場の清掃員としてほぼフルタイムで働いていたこと。

・その間、「働けば退院できるから」と病院スタッフに言われていたこと。

・いつの間にか作業療法士の手伝いをするようになっていたこと。

・最近の楽しみは、スナックや福祉施設でカラオケすることということ。

などなど、赤裸々に語ってくださいました。


「どんな支援員が接しやすかったですか?」受講生が尋ねると、

「スナックや居酒屋の店主かな」

そう朗らかに回答されていました。

「福祉施設がより良くなるためには何が必要か?」
受講生が尋ねると、

「施設の職員には、謙虚な姿勢でいてもらえると有り難い」

と、真剣な表情でお話しされていました。

何より印象的だったのが、目がとても澄んでいたんです。

思わずなんでも話したくなるような雰囲気。

話にも引き込まれたし、質問した時の目が、本当に穏やかで。

忘れられない一日になりました。


帰り道、

守ろうとすればするほど守れなくなる。それが人権。

という言葉が頭をよぎりました。

ぼくは、

当事者に対し
スタッフに対し
周りの人に対し

一人の人として接することができているだろうか。

皆さんは、どうですか?

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