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差別について

🔑 キーワード
・教育で差別をなくせるか
・制度上の平等は生活へ反映されるか
・区別することは差別することなのか
・社会の分断の進行

📝 課題  
机上の空論になりつつある

💡 解決策
実際にアメリカに住んでる方か意見を聞く


第一に、そもそも差別とはなにを指すのか。その曖昧な境界線について話し合った結果、
「相手を個人としてではなく、所属する国・民族などの一員としてしか捉えないこと。
またそれによる決めつけなどの行為」
ではないかという意見に落ち着いた。
しかし、それと同時に、その認識をこの世界の全員に伝えることは非常に難しいのではないかという疑念も生まれた。教育、という大きな力を利用したとしても、その限界は「伝えること」にあり当人の意識を変えることには及ばないのだ。また、一括りに教育といってもその内容は千差万別だ。「差別はダメだ」と教えを説くのか、「多様性を受け入れる」ことの意識を植え付けるのか。この二つだけをとってもその方向性は全くと言っていいほど違う。教師の質をいかに高く保つか、ということも論点になってくるだろう。
いずれにせよ、「教育」という観点だけで世界中の認識を変えることは難しいのでは、という結論にたどり着いた。


いま世界中で活発になっている「黒人差別反対運動」。私たちは暴動と化しつつあるこの運動についてある疑問を持った。暴動のきっかけとなった事件についてだ。白人警察官が黒人の容疑者に対して過剰な攻撃をしたことが問題となったが、果たしてこれは「白人 対 黒人」の問題なのか。当人同士の問題が民族間の問題に発展した背景には、コロナ禍の自粛によるストレスの増加など差別への反対とは別の要因もあるのではないか、ということである。実際、日本国内でも自粛生活による社会の分断の進行は著しい。差別の要因にもなりうる「違うことへの過剰な恐怖心」が以前にも増して掻き立てられているのではと感じるのだ。このような状況の中、私たちは日々変化する社会を生きていかなければならない。これからもこの議題については継続的に考えて行きたいと思う。  👓

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