見出し画像

これは私の実家の薬屋さん。

「あの日から。」では、特別版として書いていたものだけれど、別マガジンとして実家、家族の、いろいろな、面白くて懐かしい、「昭和の高度成長期の家族」の話を書くことにした。

(注 上記写真の笑ってる女の子は「私」である。お店は、実家。平和そのものだった時代である。)

もうすぐ、平成も終わろうとしている時に、のどかなで貪欲だった、「商売屋」のお話というわけで、的がずれてると、今の家族から指摘は受けてしまったが、そんな事ははっきり言って、どうでも良いこと。

今、私が書くことが大切だと信じているから。

実家は、父母私妹の4人家族で、薬屋を営む、「商売屋」であった。父方の祖父は、医師で、軍医でもあり、古くは、「日露戦争」にも行った人である。父は、5人兄弟姉妹の末っ子で、男一人の、やはり、跡取り息子だった。当時は、医師はかなりの面で、優遇されており、軍医ともなると、その家の家族は、村的な住まい住所であり、村の中で皆に、一目置かれる存在だったという。あまり深く聞いたことはなかったが、そのような中、長男である父は、別格に育てられ、かなり、我儘な父だったようだ。だが、5人の兄弟姉妹がおり、末っ子になると、なかなか、上の姉さん達からの圧力も凄く、折に触れ、いじめられていたようだ。

父の右手の、親指と人差し指の間には、ひどい、火傷の跡が残っていた。それは父が、悪さをした時に、一番上の、姉から、お仕置きとして、お灸を据えられた時のものだ。姉も、幼く若かったが、実際にやってみると、初めてのいたずら的行為だが、何しろ、いたずらとは言えやりすぎた。父は姉達に押さえつけられ、姉達は姉達で「百草」の量がわからず、百草をてんこ盛りにした。その右手の百草に火をつけた姉たち。ちょっと怖い(笑)。さあ我慢しろと、父に強要したまでは良かったが、百草の量が多すぎて、父は大火傷を負ってしまった。それを見た、お手伝いさんは、真っ青になって、姉たち4人に囲まれた父を取り上げ、手を水につけて、祖母を呼びに行ったそうだ。でも後の祭りで、その火傷の傷は酷いものだった。父の右手の甲にはその跡が、ずーっと残っていた。だが、幼い頃の、思い出とは、不思議なもので、その話になると、父は凄く得意気に、家族に話して聞かせていた。痛い思い出は、鮮明なせいか包み隠さず当時の思い出を話し、いかにその姉達が、酷い事を楽しそうにしたかと、話しては父は笑い。また、私達家族も笑い。そんな、ちょっとお茶目な父だった。

父は、医者にはならなかった人だ。いや?なれなかったの方が正しいと思う。なので、「薬品販売」という道を、祖父から言われてその道に入って行った。昔でいう、「薬種商」という分野である。でも、自由奔放な父にはぴったりのような気もした。当時、昭和の「高度成長期」で、商売は、順調に伸びていき、資産も増え、父も母も頑張っていたが、楽しそうだった。

そのような生活だったので、私も、妹も、お金に困ることもなく、食べるものは困らなかったし、生活面では、いわゆる家電での「三種の神器」は我が家には、かなり早く来た。オルガンや、ミシンも早くからあった。経済には、全く、困らず、母は、父の店を手伝いながら子育てをし、また裕福な幼児期を、過ごさせてもらった、私たち姉妹であった。

※ちなみに、父の兄弟姉妹はその後、医学関係では一番上の姉は薬学を学び、医師の夫の元に嫁いで、80歳を超えるまで「薬剤師」として現役で仕事をした。また父は「薬種商」の資格で、薬屋を営み、他の兄弟姉妹は、それぞれにお嫁にいったようである。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

ああ、ありがとうです。私は仕事で相当凹んだときにスタバに行って、気分を切り替えます。いい仕事のため、スタバ資金にさせていただきます。

キャ!嬉しいです。
4
濃い、B型3人家族です。私の書くことは、全て、ノンフィクションです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。