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読まれる(物語られる)ことを意識すること─『プロローグ』

小説の書き手である「わたし」は、物語を始めるにあたり、日本語の表記の範囲を定め、登場人物となる13氏族を制定し、世界を作り出す。けれどもそこに、プログラムのバグともいうべき異常事態が次々と起こり、作者は物語の進行を見守りつつ自作を構成する日本語の統計を取りつつ再考察を試みる……。
プログラミング、人工知能、自動筆記…あらゆる科学的アプローチを試みながら「物語」生成の源流へ遡っていく一方で、書き手の「わたし」は執筆のために喫茶店をハシゴし、京都や札幌へ出張して道に迷い、ついにはアメリカのユタ州で、登場人物たちと再会する……。情
報技術は言語の秘密に迫り得るか? 日本語の解析を目論む、知的で壮大なたくらみに満ちた著者初の「私小説」であり、SFと文学の可能性に挑んだ意欲作。


プロローグ(wikipediaより)
・文章や物語の導入部のこと。演劇では序幕、詩では序言という。
・Prolog - プログラミング言語の一種。
・プロローグ〈序幕〉 - 中森明菜のアルバム。
・Prolog (同人誌) - 子役・モデルへのインタビュー記事を中心に構成された同人誌。
・prologue - Mr.Childrenの楽曲。アルバム「BOLERO」に収録。
・プロローグ - 「けいおん!」シリーズの登場人物、真鍋和(声:藤東知夏)のキャラクターソングに収録されている楽曲。
・Prologue 21 - 通信カラオケ「セガカラ」の機種名及びシリーズ名。
・Prologue - DAWソフトウェア「Cubase」に搭載されているソフトウェア・シンセサイザー (VST) の名称。

円城塔氏の『プロローグ』がとても面白い.

氏の作品は好きでほとんど読んでいるのだが.正直理解できる作品は数少ない.なぜ好きなんだろうか...

さて,この小説はタイトルの『プロローグ』がすべてを表している,今まさに書かれうる小説のための小説だ(こう言っても自分が何言ってるかわからない…).
冒頭は『吾輩は猫である』が如く

「名前はまだない。自分を記述している言語もまだわからない。」

と始まる.登場人物の名前は作中で名付けられるし,次にどのような展開が出てくるかも作中で検討される.

作者の写し鏡であろう登場人物が登場し,作品の舞台は二転三転し,時代すらも二転三転し,ありとあらゆることが目まぐるしく動く.
そして,小説の登場人物(らしきもの)は,小説の要素となりそうなものを探しにいく旅に出る.

「本当のところ、マイアミにはその空想のアメリカを構成する一つの部品を探しにきたのだ。英多はそれを、「ラジカセを肩にかついで海辺を歩く男」と呼んでいる。これは当然、砂漠や荒地では駄目で場所込みである。目撃証言を総合すると、どうもこの種族は二十年前あたりを境目に姿を消してしまったらしい。セントルイス在住の先の登場人物は、「今はipodがあるから」とひどく正気のことを言ったが、「マイアミにならいるかも知れない」とこちらが言うとやや表情を引きしめて、「マイアミにならいるかも知れない」と応えた。」

こんなほとんど悪ふざけのような(というか完全に悪ふざけだ)文章を書いてしまえるあたりが,私が円城塔を好きな理由なのだろう.
途中まで読んでも,未だ展開がまったく分からない,というかそもそも展開というものがあるのだろうか.それを楽しみに読み進めていこう.

ところで,この小説では所々で写真が挿入される.
そのことによって虚構と現実の境目を曖昧にしているような感覚を覚える.これはもしかしたら本当に円城塔氏の私小説なのかもしれない,いやしかし,そんなことは現実にはありえない.ただ(私たちが)そう感じてしまうなら或る意味ではあり得るのかもしれない.なんとややこしい.


読んでいるときにこんな妄想をした.

ある小説が発売される.購入者にはその小説の内容と一字一句違わぬテキストデータが配布される.そのテキストデータは自由に改変可能で,版元が用意したプラットフォーム上でならWEB上で自由に公開可能だ(ただし,無修正は駄目だ).

すると,もしかしたら登場人物の名前が「ああああ」とか「いいいい」に変えられただけで話の内容が全く変わらない小説がアップされたり,まったく違う話が挿入されたり,登場人物の性別が変えられたりと,その読者それぞれの思惑や悪意,思い入れなどによって,そのプラットフォーム上には作品のさまざまなバリエーションが生まれる.

もしかしたらそれらを読むことで私たちは逆説的に登場人物の名前がいかに重要だとか,舞台設定が重要だとか,小説の基本的な要素の重要性に気付かされるのかもしれない.私たちの虚構の読み解き方のルールが可視化され,そうしたものは(ある意味)デザインされているものだということが分かるのではないだろうか.そうした試みはされたことがあるのだろうか.もしあるのならば原作とセットで見てみたい.


こういうのを一般的には二次創作というのだろうか.
いや二次創作とはあくまで原作の世界観に乗っ取ったもので,内容をなぞるものではない,当たり前のことだが,少しだけ違うほとんど同じ内容のものを自分のものとして公開したら著作権違反だ.
これはどちらかというと翻訳に近いのかもしれない.

「そこでは小説は書き換えられ続け、常に姿を変えていくことになる。そんなものは小説ではないという方には想像してもらいたい現象があり、それは一般的に翻訳の名で呼ばれている。一冊の本の命脈を考えるとき、わたしは翻訳書がうらやましくなる。その母国語における、定本、底本に対してではなく、数多生み出されては改訂されて確かに読まれて新たな並びに置き換えられ続けていく文字の連なりが。翻訳は転生じみている。別の国に何度も生まれ直す小説がある。ただ固定した化石であることと、次々と変異を繰り返しつつ、広がっていくことのどちらがより生物らしく見えるだろうか。その姿は灰から飛び立つ鳥のように私には見え、子孫を増やしていくように見え、バージョンを切り替えながら変化していく生き物に見える。」


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