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「小さくて大きい行政府」へ─『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』

小さい政府/大きい政府の二項対立を超えていく、小さいけれども、誰も排除されない大きな社会を実現する、「小さくて大きい行政府」はありえないのか?
人口減少によって社会が疲弊し「公共」が痩せ細っていくなか、デジタルテクノロジーの可能性を正しく想像することで、新しい公共のありかた、新しい行政府の輪郭を見いだすことができないか。
テクノロジーと社会の関係に常に斜めから斬り込んできた『WIRED』日本版元編集長、『さよなら未来』の若林恵が、行政府のデジタルトランスフォーメーション(ガバメントDX)に託された希望を追いかけたオルタナティブな「行政府論」。
eガバメント、データエコノミー、SDGs、地方創生、スマートシティ、循環経済、インディアスタック、キャッシュレス、地産地消、AI、クラウドファンディング、ライドシェアから……
働き方改革、マイナンバー、ふるさと納税、高齢ドライバー、「身の丈」発言、〇〇ファースト、災害、国土強靭化、N国党、Uber・WeWork問題、プラットフォーム規制、リバタリアニズム……
さらにはデヴィッド・グレーバー、暴れん坊将軍、ジョーカー、ヒラリー・クリントン、メタリカ、カニエ・ウエストまで……
縦横無尽・四方八方・融通無碍に「次世代ガバメント」を論じた7万字に及ぶ「自作自演対談」に加え、序論、あとがき、コラム32本を一挙書き下ろし! 企画・編集・執筆、全部ひとり!現場で戦う公務員のみなさんにお届けしたい、D.I.Y.なパンクムック!

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2019年最後らへんの読書となった本書。
『さよなら未来』などテクノロジーがもたらす社会の変容について一家言ある若林恵氏率いる黒鳥社の新刊。

テーマは「行政府」。

プロローグとなる「「公共」の現在」では、
現在の政府は近代化(産業化、市場化、都市化)によって前近代の地縁的なコミュニティなどから移り替わりつつある「価値」を担保し、効率よく機能的に運用を行い「公共的な価値」を守る役割を担っていたのが20世紀の「政府」。しかしその後、社会が豊かになるにつれてその「公共的な価値」は多様化し、個別化していく。それにつれて行政が担うサービスに求められるものが複雑になりすぎてしまい、もはや対応しきれなくなってしまっている、と書かれている。
文脈は違えど、こうした時代の変化を捉え、分かりやすく言語化したのがSF小説『ハーモニー』だったのかもしれない。

「昔は王様がいた。王様をやっつけて、みんなはセカイを少し変えようとした。王様をやっつけたのは市民。要するにみんな。とはいうけれど、みんなで政治をやるには情報の流れが悪すぎる時代だったから、政府というのができて、今度はムカついたら政府をやっつければよかった」

期せずしてここで取り上げた『ハーモニー』では「生府」と呼ばれる機構が「大きな政府」から「小さな政府」の実現を果たしている。そして、本書で語られるのは「大きな政府」と「小さな政府」の両立、「ネットワーク化された行政府」への移行だ。
しかし、『ハーモニー』では他者への慈しみを基盤とした「小さな政府」が「真綿で首を絞めるような世界」を実現してしまったように、

「でもいまは違う。政府の後にできた生府社会には、やっつける人間は存在しない。みんな幸せで、みんなが統治してて、その統治単位はあまりにも細切れだから」
「生府。正確に言うところの医療合意共同体(中略)生府を攻撃しよう、っていったところで、わたしたちには昔の学生みたいに火炎瓶を叩き付ける国会議事堂もありゃしない」

「ネットワーク化された行政府」を実現するには一筋縄ではいかない(「小さな政府」に舵を切りすぎてしまうと「お金が儲かること」が重要になってしまうように)。
そこで、本書では改めて「デジタルテクノロジーをうまく使いこなした社会では(「公共」や「行政府」が)どうなるのか」ということがいくつかの現代の事例と共に語られる。


「仮想雑談」というフォーマット

さて、本書の内容はあまりにも幅が広いので、読んでいただくのが一番だとして(かなり読みやすいです)、

本書の構成としては、インドやデンマーク、フィンランドなどデジタルテクノロジーを活用したガバメントのあり方を推し進めるいくつかのキーパーソンへのインタビュー、数十のコラム、そして、「仮想雑談」なるものなどからなる。

「仮想雑談」?聞きなれないこのコーナーが本書の重要なポイントとなっていると考えられる。
編者である若林氏は編集後記において、「ネットワーク化された行政府」というアイデアに対して、そもそも「目次」というツリー型構造がそぐわないんじゃないかと思い、ランダムな点のネットワークとして提示する編集方針にしたと述べている。
その現れがこの「仮想雑談」だ。実際、読んでみると100頁あまりにもわたって続くこの章の話題は多岐にわたる。編者が取材の中で得た情報、書物から得た情報、そして後半に収録されるインタビューの内容まで先出しされ、ごった煮の、まさに「雑談」である(とはいえ話の骨子としては、もちろん「次世代ガバメント」を軸としている)。

こうしたごった煮の小気味よいテンポの文章(「雑談」)を読んでいると、そもそも「雑誌」というものもその名前からしてランダムな点のネットワークを提示するものだったのではないか、と思ってしまう。
それなのに、雑誌は長く続けば続くほど「制約」のようなものが増えてきてしまう。自分が携わっているものにしてみたって、「雑誌」と言えるのだろうか、と思えるほど雁字搦めなのではないかと時々思える。

内容についてもさまざまな想像を巡らせることができる良書であったとともに、書籍としてもこのムックは「雑誌」のありようを考えさせられるものだった。

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