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誠実なあの人

大好きな友人がいる。
私なんかでは友達になってもらえない、と
昔は思っていたかっこいい女性である。
こう書いていて、もしかしたら今も
友達だと思っているのは私だけかも、
という思いが頭を掠めたが、
そんなことを言うときっと悲しそうな顔をして
「なんてことを…」と否定するだろう。
そういうひとだ。

彼女を端的に表す言葉を
昨日の夜から探しているのだけれど、
さっきふわっと浮かんだのが
「誠実なひと」という言葉だった。

そう、誠実なひとだ。

自身に対しても、
周囲の誰に対しても、
友人にも
仕事にも
あらゆることに誠実な人。

なんなら、
酒屋に並ぶ一升瓶にだって
これからいただくお料理にだって、
花の1本1本にでも、
全身全霊で向き合う、
誠実でまっすぐな人だ。

それは理性で自我を抑えている、
といったような
不自由さの上で成り立つものではなく、
もうそういう「生き方」を
彼女は選んで
それを淡々と実行しているのだ、と
彼女の人生の中の
もしかしたら桟敷席のようなところから
日々を垣間見させてもらって思う。
桟敷席にいると
そう思っているのは私だけかもしれないけれど。
(悲しそうな顔はしないでほしいのだ、
 あなたに対しては謙虚でいたいと思うのだから。)

春ごろから調子が悪い様子はあって、
その中でやり取りをたまに、
彼女の邪魔にならない程度に、
私の不安や心配を解消することが目的にならないように、
頭に15回くらい浮かんだら
やっとなにか連絡をしてみる程度に、
頭の端っこにその誠実なひとは常にいた。

連絡をしてこないのなら
連絡をしないことを選んでいるのだと、
彼女の誠実さからわかっていたから、
たまにUPされるSNSの様子を見ては、
それを選んでいる彼女を尊重しようと
そう思っていた。
尊重している、と、そんな気になっていたのだ。

勝手に。
ね。
いつも勝手なのよ、自分っていう生き物は。

でも、その誠実なひとが
2年後や3年後には
もしかしたらもう
肉体から離れているかもしれないと知ったらばさ。
それが誠実なひとだからこそ
誠実にお知らせをされるとさ。

なんだとー!
なんてことだー!
神様めー!
神仏の慈悲はないのかー!
世界の医療はどうなっとんじゃー!
そもそも私はなんでこうも
なんの役にも立たんのじゃー!

って言いたくなるよ。
尊重している気になって自分で気持ちよくなっていただけで、
その間にも彼女は
なんだかすっごいボリュームの思考と感情と体のことを
淡々と手懐けて
日々を暮らしていたと想像したらばさ。

言いたくもなるさ。

繰り出せる悪態全てを繰り出したら
もしかしたらなんかさ
「あ、間違えてた、ごめんごめん」
って神様が言ってくれるんじゃないかって
そんなどうでもいいこと考えてしまうじゃないか。

知ってる。

私にできることはなくて、
私はそれを受け入れるのに抵抗してるだけだって。
ちっぽけだからさ、おれ。

でも願わくば
あの誠実なひとが
これからの毎日を、
たとえ泣いても笑っても
心から願うもので「満ちて」いてくれればと思う。

それだけは、本当に思っている。

そうなの。
大好きだから。

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