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沖縄から浦和学院へ。成長著しい仲里翔貴が福井での活躍を誓う。

ワイラプインターンの松浦です。

先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「 #ワイラプ博物館 」の第18回の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、仲里翔貴 選手のインタビューです。

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仲里翔貴(なかざと しょうき) 沖縄県出身 1999年9月9日生まれ
小禄中学校▷浦和学院高校▷四国学院大学(中退)

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■野球をするか、家を出るか


−早速ですが、野球を始めたきっかけはなんですか?

仲里:「野球をしないなら家から出てけ!」と言われ、小1から渋々始めました(笑)
兄も野球をしていましたし、親も野球が好きでした。親はとにかくスパルタで、小学生の頃からバッティングセンターで140km/hを打たされていました(笑)


−めちゃくちゃスパルタじゃないですか(笑) 当時からピッチャーですか?

仲里:ピッチャーは小4からです。チームの主力として、沖縄県でベスト8にもなりました!

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(小学生時代。迫力のある身体つきとスイング!)


−すごいですね!中学時代は、硬式チームですか?

仲里:山川穂高選手(現・西武L)も所属していたチームSOLA沖縄というシニアチームに所属していましたが、途中で辞めてしまいました。


−え…。辞めた理由はなんだったんですか?

仲里:単純にキツかったのもあったんですけど、当時はあまり野球が好きではありませんでしたね。NPBも夢と言うよりも義務という感じでした(笑)


−チームを辞めた後は、どうされたんですか?

仲里:中学の野球部に入りましたが、あまり勝った記憶はないですね…。
けど球速は伸びましたね。周りよりは球が速いピッチャーだったとは思います!

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■「浦和学院ってどこ??」


−高校は名門・浦和学院高校に入学されたと聞いていますが、沖縄からはるばる埼玉の浦和学院に進むことになった経緯を教えていただけますか?

仲里:小学校時代の指導者と浦和学院の監督さんの仲が良くて、僕のことを紹介してくれたんです。
でも、やっぱりそれだけでは入れなくて、同じ沖縄出身の砂川リチャード選手(現・福岡SB)目当てで視察に来ているときに、部長が僕のところにもわざわざ視察に来てくれたんです。
その日は調子も良く、130km/hの球を披露したら、声をかけてもらえました!ラッキーでしたね(笑)


−中学生で130km/hは速い…(笑) やはり、名門に進むこと、沖縄を離れることに対するプレッシャーや不安はあったんじゃないですか?

仲里実は、浦和学院のこと知らなかったんですよね(笑) 強いらしいから行こうかなくらいのレベルです(笑)
でも、親からも応援されていたので、不安はもちろんありましたが、浦和学院に進むことを決意しました。


−浦和学院を知らないってすごいですね(笑) それだと、最初の衝撃はすごかったのでは?

仲里:すごかったです(笑)1年生の時はとにかく走りました。練習中はもちろん、朝練中、試合中、試合後…常に走っていました(笑)
でも、そこで鍛えられたおかげで、1年間で球速が7km/hも上がりました!!


−「練習=走る」ですね…。でも、そのおかげで球速も137km/hまで上がったんですね!その調子でメンバーには入ることはできましたか?

仲里2年生の春に背番号をもらえました。でも、そこで調子に乗って投げまくっていたら、肩を壊してしまい…
2年生の冬に肩は治りましたが、2年生の間は、リハビリとウエイトトレーニングばかりしていました、おかげで球速は142km/hまで上がりましたけど…!(笑)


−怪我をしてもしっかりと力をつけたんですね!3年生はどのように過ごしましたか?

仲里:最後の夏は背番号18をつけることができました!夏は1つ下の渡邉(現・西武L)がほぼ投げていたので、初戦だけの登板でした。
チームも甲子園常連高の花咲徳栄高校に決勝で敗れ、高校野球生活は終わってしまいました。

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(高校時代。奥から3番目が仲里選手)


−名門の18番をつけていたとなると、大学から推薦の誘いなどもあったのではないですか?

仲里:大学は、声をかけていただいた四国学院大学に進みましたが、野球に向かう姿勢や周囲との意識の差に違和感を感じてしまい、半年で退学しました。あてはなかったんですけどね…(笑)


−辞めた後はどうされたんですか?

仲里野球は続けたいという思いはあったので、アルバイトをしながらクラブチームの練習生のような立場で練習に参加することにしましたね。

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■日々、貪欲に吸収する発展途上の2年目


−大学を辞めても、野球に対する思いは消えなかったんですね。独立リーグに進むきっかけはなんでしたか?

仲里高校時代のチームメイトに独立リーグの存在を教えてもらいました。それがきっかけで、翌年2月のトライアウトを一緒に受けることにしました。
そこで福井ミラクルエレファンツに声をかけていただき、入団することができました!親は独立リーグのことはあまり理解していませんでしたが、今では応援してくれています!(笑)


−福井に来た1年目の昨シーズンはいかがでしたか?

仲里:ダメダメでした…。独立リーグという今までとは違う環境に飛び込んで、気付いたらシーズンが終わっていました。選手間にもモチベーションや意識の差はあって、それらが高い人についていけてなかったなというのが反省点です。

−あまり納得のいくシーズンにはできなかったんですね。何か印象に残っている試合はありますか?

仲里:8月29日の信濃戦です。初回に11失点し、2回で被安打15、計16失点しました。
それもきっかけとなって、先発の機会もほとんどなくなってしまいましたね。「このままではダメだ」と思い、オフシーズンはIWAアカデミーと言われる野球スクールに参加して、技術や知識の吸収をしてきました。今季は本気で頑張らないとなと思っています!

−練習中も濵田選手や高橋選手とコミュニケーションをとっているのをよく見ます!今期にかける想いがよく伝わってきます!今季はどんなシーズンにしたいですか?

仲里:そうですね、濵田さんや高橋さんは技術も知識も豊富なので、積極的に声をかけに行って指導してもらっています!

今季は、たくさん勝ちたいですし、球速も145km/hまでは到達したいですね。最近は伸びてきていて、発展途上なのでいけると信じています!
また、チーム内はもちろんBCリーグでトップの成績を残すために、夏場は“瞬発力”に重点を置いて取り組みたいです。

オフシーズンはアメリカの野球に触れてみたいという思いもあります。そこで手応えが良ければ、高橋さんも参加していたABL(オーストラリアリーグ)にも挑戦したいと考えています!


−では、最後にファンの皆さんに一言お願いします!

仲里:いつも応援ありがとうございます。
ファンという存在なしには野球をしている意味もないに等しいと思っているので、応援してもらえることに感謝しながらプレーします!!

野球をしていると今までで1番ワクワクするし、充実していて本当に楽しいです。成長していく姿をぜひ見ていてください!!

−ありがとうございました。日々成長を求め、努力されていることがわかりました!
昨年の苦い経験や先輩選手からの指導、チーム外からの刺激などを糧にして活躍する姿を楽しみにしています!

(文責:球団インターン 松浦拓矢)

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