見出し画像

21の私

21歳最後の日、カメラを持って最寄り駅を歩いた。
再開発の繰り返された街、幼稚園は跡形もなく商用施設になり、いつもおしゃべりをしてた八百屋さんはお洒落な有機野菜のお店に知らぬ間に代わった。

駅の近くには、小さかった私が確かにいた、それだけのことを伝えてくれるものすらない。

ただ、多摩川が運んでくる清々しい風だけが、今も変わらない。

不意に、「今ここ」の私を、静止画に押し込めたくなった。
赤かとした夕焼けと、それに照らせる多摩川、夜空の向こうへと羽ばたくアオサギ、
いい写真になっても、私ではない。

「今ここ」の私は、カッコいい写真になんかならない。憧れに縛られる生き方もしたくない。光り輝く太陽より、世闇をほのかに照らす月の方が好き。

不意に、雲から僅かに姿を見せる月が、私に見えた。
重く厚い雲に覆われながらも、姿を見せて、一筋の光を感じさせる。
迷い戸惑いながらも、友達に恵まれて、片足のほんのつま先だけ「自分らしい場」にいれる私のように。自由に進むには、あまりにも厚い重い雲がある。いくら自由があっても雲から出ることは、怖い。

あと10分で21歳が終わる。
どこかイキっているところ含めて、等身大のフォトエッセイかもしれない。

爽やかな風とともに、空が開ける。そんな時を心待ちにして、自分らしさへの自由にこだわる1年にしたい。

[きっかけ]
横浜から帰る電車内、親友と共通の親友がした「18歳を締めくくる」のプレゼンの話をした時に、「21年をしめくくる一枚」を取ったら?と薦められた。考え抜いた一枚じゃなくて、肩の力を抜いたものを撮ろうと、カメラを持って街にでた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?