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森山大道さんの「光と影」

山形県酒田市の「出羽遊心館」で、森山大道さんの写真展をやっているのです。
ここ山形ではもちろん初の森山さんの写真展です。18日までですので写真好きな方はぜひ。おすすめいたします。

で、ぼくは今日行ってきました。

凄く良かったです。
行って良かった。

森山さんといえば、という感じのゴリゴリのストリートフォトは見れなかったけどそれでも凄く良かった。

特に「遠野2014」のプリントが良かった。
キヤノンサロンの企画での作品で、キヤノンの当時の技術の全てを尽くしてプリントしたものだと説明していただきましたが本当に凄かった。
2014年の作品だからデジタルなんだろうと思いますが、他のフィルム時代のプリントより遥かに良かった。大好きですあれ。
不思議で強い立体感がある。
森山さんの作品といえば粒子が荒いイメージだけど、この「遠野2014」はそうでもなく。
結構ノイズリダクションが強くかかってるような作品もあり、それでも高精細、高密度、高解像でキリッキリで。
そして立体感が凄い。
紙は半光沢。
A1くらいのサイズだろうか。
紙の縦横比が独特で正方形に近い長方形。そこに3:2のアスペクト比の写真をプリントしているので上下に太い黒帯が存在するのです。
独特なオーラを放つプリントでした。
どうやったらあのようなプリントを作れるんだろう。
作品の前にひざまづいて凝視してました。笑

あ。この展示では「遠野」と「遠野2014」が一度に見れるのです。
これは初の試みだそうです。
40年の時を経た遠野の情景を森山さんの目と作品を通して見れる内容になってます。

でもぼくは・・・・

作品を見ていて思ったんです。ぼくはやはり何が写っているかとか被写体が何かということにあまり興味がないんだなという事。
自分が撮っていてもいつも「何を撮るか」という事よりも「どう撮るか」という事にどうしても傾倒してしまうのですが森山さんの写真を見ていても、そこに何が写ってるかってあまり興味が向かないようですぼくは。
技術的な事としてどうやって撮っているんだろうとか、どうやってプリントしたらこうなるんだろうみたいな興味はもちろん強いんですが、同時に森山さんは何を伝えたくてこの作品をどう撮ってどう仕上げて、どうプリントしたんだろう。そこに最大限興味があるようです。ぼくは。
写っているものよりも撮った人に興味がある、と言い換えられると思います。
これは写真に対してのアプローチというか向き合い方なのでしょう。

翻って写真を撮る時の事を考えてみるとぼくは写真を撮りにどこかに出かける、という事はほとんど無く(仕事の撮影は別ですよ当然)いつもたまたまその時出かけた先の写真を撮っている、という感じです。
あるいは自分が住む町を撮っている。
その時その時目の前にあるものを撮っている感じなのですね。
目の前にあるものを使って、それをどう撮るかで自分の表現としたがっているのです。
それは自分のライフログ的な目的もあると思います。
自分の表現として作品として目の前にあるものを使って撮っている。
そんな事が多いようです。
森山さんの写真を見てスゲーーーと感動しながら、そんな事を考えてもいました。


今回の写真はこの写真展を開催していた酒田市の「遊心館」です。
これもこの時たまたま目の前にあったから撮りました。
いや素晴らしい場所だったからってのももちろんあるんですが。
素晴らしい場所でした。また行きたい。

この茶室なんてみごとでしたよ。

さて、なぜ今回森山大道さんの写真展の話からこういう話にうつろっているかというと、「写真やカメラへの向き合い方」ってこういう考え方もあるんですよ、という事を主にぼくの写真ワークショップの生徒さんに伝えたかったから。(もちろんこれを読んでくれている方にも)
みんな写真やカメラにのめり込んでハマっていけばいくほど、ある時点で壁を感じたりスランプを感じたりしているみたいで。
それは大変良い事です。
それだけ高い意識があるという事だし、ある程度経験を積んだからこそ感じるものだし。
とは言え、壁やスランプを感じた時にこういう向き合い方があるっていうのは一つの役に立つ要素足り得るんじゃないかなと思ったのです。

最近、撮りたいものが見つからないとか素晴らしい被写体に巡り会えないとか思ってたりしたらこの記事を読んだ意味があると思ってください。

どっかに行かなくてもいい。絶景を探さなくてもいい。
身の回りにまだまだ撮るべきものはたくさんある。

そう思ってみるのもいいと思います。

もちろん絶景を探して旅に出るのも最高に素敵な事ですけどね。

桐野夏生さんが「小説とは路傍の石ころに宇宙の普遍を見出す事」と言いました。たまたま機会に恵まれて実際にお会いして聞いた言葉なんですがとてもとてもありがたいご託宣として心にしまってある言葉です。

ぼくが写真に向き合うときもそうありたいと願っています。


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