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【現代麻雀への道】40 ドラの誕生

ドラの出生地は大阪通天閣

日本人による最大の発明・麻雀版といえば、文句なしにリーチとドラだろう。

リーチとドラは日本にしかない。われわれにとっては「それがなきゃ麻雀にならないでしょ」という存在だが、世界的にみればローカルルールだ。つまり寿司のような立場だが、そのドラが今回のテーマである。

ドラの誕生は戦後まもなく。大阪の通天閣で行われていたブー麻雀で生まれたという。
*ブー麻雀=誰かが子のマンガン分を浮くか沈むかするまでを勝負の一単位とする麻雀。スピード感があり、見逃しやフリテンが重要な技となる。戦後大阪で始まった。

厳密には2説あって、ブー雀荘が店の独自ルールとして考えたという説と、満州帰りのお客さんがいて提案したという説がある。戦前の満州にはドラが存在したらしいから、それがルーツだろうか。

ドラという名称はドラゴンからきているという。最初は懸賞牌と呼ばれたが、いつのまにかドラと呼ばれるようになった。

生まれたばかりのドラは、アガったときに百符プラス (ツモると百符オール)というボーナス的な扱いだった。当時の百符は、今なら1300点くらいの価値だろうか。

決め方も違っていた。最初にサイコロをふってドラをめくり、それからあらためてサイコロをふって配牌の取り出し位置を決めていた。

これだと変な場所に1枚だけめくれていることになり、誰に入るのかわかってしまう。引いた人は、手牌のなかでもその1枚だけオープンしたまま打っていた。

また、たとえば4pがめくれたときに今なら5pがドラとなるけれども、当時は4pそのものがドラとなった(現物ドラという)。さらには、誰かがアガったあとにリンシャン牌をめくってドラを決める方式もあったようだ。これでは現在の裏ドラだ。

こういった混乱した状況が落ちついたのは昭和28年のことだった。このとき、報知ルールはリーチを制定したことで知られているが、じつは表ドラも現在のかたちに制定された。

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