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この世でいちばん大事な『カネ』の話(2012.10.29記)

小さい頃から、お年玉をもらうと、それを握りしめて郵便局へ行って貯金していた。
そもそも、私の幼少の数少ない記憶の大部分をしめているのが、(その頃住んでいた、近くの)田代郵便局の窓口の造りである。
こんな職業な為に、入ってくるお金も少ないので、おのずと財布のヒモも固結びである。
だいたいにして、昔から、人生ゲームとかテレビゲームとか、ゲーム世界でさえも、おカネを使えず、ゴールした段階で、無意味にゲーム内の通貨がたくさん残っていた。

金持ちの経験も無いが、極貧も経験していない分、『貧困』という言葉に、ものすごい恐怖のイメージを持っている。
ある意味でかなりのマネー信仰者である。

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西原理恵子さんは、極貧を経験して、ギャンブルによる家庭崩壊も、人格崩壊も、育った環境で見てきていたのに、仕事といえど(だが、自腹で)、麻雀で5000万すったり、FXで1000万すったりしている。

でも、人間が崩壊しないように、家族が崩壊しないように、仕事(遊び)で使える金とは別に、これだけは出禁金をちゃんと割り切れている。

どれほどの人間が、6000万すったことをネタに笑い飛ばせて、生活するカネをつぎ込まず踏みとどまれるか。
怖さを知っているから、そうゆう付き合い方ができるのだろう。
最後のステップは、踏み外さない。(今のところは…)
怖さを知らないから、飛んで火にいる人もいるが、恐れすぎてうまく付き合えないというのもあるだろう。

『お金には、家族を、嵐から守ってあげれる力があるんだよ。いざというとき、大切な誰かを安心な場所にいさせてあげたい。そう思うなら、働きなさい。働いて、お金を稼ぎなさい。そうして強くなりなさい。それが、大人になるっていうことなんだと思う。(本文から抜粋)by 西原理恵子』

おカネによる、人や生活の浮き沈み、恐怖を幼少から見てきただけあって、彼女の経済観念は、自分の力で着実に稼ぐ、稼いで着実に生活するということの大事さを身をもって伝えている、・・・たぶん。

底辺にいる人が、そこを抜けるには並大抵のエネルギーじゃ不可能なのもわかるし、そして、そこから抜けられる人もまた、ほんの一握りしかいないのだろうこともなんとなくわかる。
悲しいかな、負の連鎖ってあると思う。
貧困って、落ちない黒いシミみたいだと思う。

さて、ハイデマリー・シュヴェルマー さんという、ドイツのおばちゃんの生き方が以前話題になった。
おカネを使わない生活を実践されている方。

彼女は、もしもの時の2万数千円の手持ちのおカネ以外は、家財も貯蓄も年金も返上して無いという。
それでも身なりは綺麗だし、とても豊かな素晴らしい生活を送っていると微笑みながら言う。
彼女はきちんとおカネに代わる社会システムを自分で立ち上げて、実践したのである。
早い話がお金を介さない、物々(又は、奉仕)交換のシステムである。
試しに1年のつもりが、もう十何年もおカネを持たない生活を続けているという。しかも、もちろん山籠もりで自給自足とかじゃなくて、都会で生活している。
というか、たぶん都会だから彼女のような生活ができるのだろう。

彼女は、幼いころに貧困と裕福をどっちとも経験したという。
きっとその時、おカネとヒトの闇(病み)みたいなのを見ていたのだろう。
だから、おカネに対してものすごい潔いのかもしれない。

『是が非でも思い切ってやってみてとは言えませんよね。皆が皆できることじゃないし、私みたいに生きるなんて無理って言う人だっているし。でも誰だって、お金や所有に対する価値観を見直すことはできるし、消費の呪縛から解放されることはできるでしょう。(本人談抜粋)by ハイデマリー・シュヴェルマー』

彼女の生き方は、かなり過激であると思うが、面白いとも思う。
これくらいやらないと、マネー信仰が浸透しすぎている社会では、問題提起にもならないだろうし。
しかし、別に誰かに主義主張を押し付けるわけでもなく、拝金主義の世界に疑問とストレスを感じて自らの生きやすさのためにそうゆう道を選んだらしい。
実践したいとはまったく思わないが、彼女についての知識が薄いので、こんど、彼女の著書を読んでみようと思う。

言わずとしれた、叶姉妹のおネェ様の叶恭子さん

彼女もまたお金に潔い人だと思う。

世間からは、たぶん湯水のようにおカネを使うという印象かもしれないが、

・・・・・たぶん、その通りだと思う 

『世の中では「お金より心が大切だ」と言います。

一方、わたくしは美しいものがなにより好きです。

見て美しいものは、心にも美しく響きます。

好きなものにふれて時間をすごすことは幸せです。

その「幸せ」にお金がかかることを、否定することはできません。

しかしそれ以前に、

当然のことながら、わたくしは「冷静な消費者」であるのです。

「もの」の性質とそのクオリティ、示されている値段のバランスはどうか。

かつてわたくしはそのことを考え、バナナをとても研究したことがあります。(本文抜粋)』

by叶恭子

彼女の意見はすごくまっとうである

考えも一貫している

『「タイム・イズ・マネー」という言葉があります。・・・そして「時間」とは、その人が注ぎこんできた「精神力」や「行動」といった、「努力」の総体を言うのです。

だから「お金」とは、簡単に手にしたか苦労して手にしたかのちがいはあれ、必ず、誰かの「努力の証し」だと思うのです。

・・・いずれにせよ、「努力の証し」を差し出すのも、受け取るのも、そんなにイージーなことではないはず。また、イージーなことではないからこそ、差し出すことにも、受け取ることにも、大きな「喜び」がともなうのでしょう。 』 by 叶恭子

彼女がご購入されている高価な「美しいもの」たちが、どういったものであるのか

それに対して、さほど興味がないが

それでも、おカネに対する考え方は、かなりしっくりきた。

この考え方であるならば、きっと使っているおカネの単位はまったく違えど、私と彼女の経済観念は似ているな、と思ってしまった。

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おカネの話になると、下品だと顔をしかめたり

誰が幾ら出す出さないという直接的なことだけでなく

他人の生き方すら、目の色かえて批判する人が多い気がする

使いすぎれば、白い目で見るし

使わないと、ケチだと非難するし

大盤振る舞いすれば、陰口たたかれるし

意識持って活用すれば、揚げ足をとろうとするし

みんなそれぞれの生き方があり、使い方があり、

アンタのカネじゃないんだから、そんな目くじら立てなくてもいいじゃないかと思う

・・・・・私のような器の小さい人間がよくやることなのだが

彼女たちの生き方や考え方が、すべてであるとは思わないが、

少なくともこの3人はおカネというものをすごく意識して、尚且つ自分なりに価値を認識して、生きているんだろうな

たまたま、読んでいた本がそうだったので、読書感想文がてら

ヨコシマで小さすぎる心の持ち主の私だが、

やはりおカネくらいは、キレイな人間になりたいとは常々思う

この異常なマネー信仰の自分が、

自分の人生の中で、今後、少しでも考え方を変えることができるか否かにも、ちょっと興味がある

最後に、

私の小さい時大好きだったドイツの作家、ミヒャエル エンデの『モモ』というお話について

自戒のために、

あらすじは、

『イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー』

『ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であると受け止めている。

しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったということが、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。』(ウィキペディアより転載)

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