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新型コロナウィルス時代の情熱とは 著者 / リエージュ大学FNRS上席研究員セミール・バディール 訳者 / 入江風子

著者 / セミール・バディール

略歴
リエージュ大学FNRS(ベルギーフランス語圏の国立科学研究基金)の上席研究員で、記号論を専門とする言語学者。彼の研究プロジェクトは知識の論証的認識論で、最新の著作に「知識の論証的実践」「記号論的およびマグリットの事例と哲学者たち」等がある。 

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人間の情熱は、モーダル荷重をもたらすことによって私たちの行動を決定します。 新型コロナウィルスの時代は、これ以上に一目瞭然なことはありませんでした。 なぜならこのウィルスは情熱だからです。

人類の半数を家に留まらせることにより、ウイルスは私たちの行動の力を減らし、それがどの行動であるかを特定する必要がないようにしています。一般的に抑え込まれるのは私たちの「実行する力」です。ウイルスの所為で私たちは何もできず、私たちは無力になりました。

この運命的状況下で、何人かは反発(その形そのものとして理解しなければいけない動詞です)します。つまり期待されたこととは反対の方向に行くことです。情熱はウィルスの様に害を与えます。反発するとは、それらのモーダル荷重を元に戻し、私たちの行動を彼らの存在論的純粋さに戻すことです。行動すること、または何もしないことによって、存在する(自己、または人間、または任意の国の市民として)。したがって、反発することとは、一瞬から一瞬へ移り、一瞬が一瞬の反対であると考察することから一瞬から一瞬へ行動することと再び同じことになるのです。 簡単に言えばそれはウイルスやウィルスが引き起こす情熱を、警察のように扱うことです。ウイルスは私たちの行動を妨げるのでしょうか?それでも、とにかく行動しましょう!

さて、情熱は私たちに影響を与えるだけではありません。彼らも私たちを活気づけてくれるのです。そして、彼らの感情的な荷重が私たちを屈服しているように見えるとき、逆に彼らの生き生きした動きは私たちの活動を刺激するのです。だから私たちは行動したいと思っていますし、現在の状況でさえ、行動するよう求められていると感じています。これが私たちの反応を正当化する方法です。どうやらウイルスは私たちを生き生きとさせるようです。ただの動けない患者や戦う警官だけではありません。ウィルスはまた、私たちが誰であり、自分自身が世界で誰なのか、何をしているのかを明らかにする理由でもあります。

しかしながらこのシナリオは、新聞等によって報告されたすべての矛盾する解釈にある通り、論理の美点を持たないと仮定することができます。私たちが持っていない力をその所為にする意味がありません。またウイルスに意図や道徳的視野を与えることも妥当ではありません。私たちに影響を与える情熱に、私たちを活気づける情熱を適応させることが可能です。その時一時的または永続的な、無力に行動しない意向と何もしない権利をもたらすのです。

そのようにして得られるのは、抵抗の可能性、私たちの場所に留まる可能性です。そして、人類の偉大な物語を改訂する代わりに、私たちが感じていること、私たちが生きていること、私たちが行動させるものに意味を与える個人的および対人的な物語を再発見する機会が与えられます。例えこのウイルスが全世界に広がる最大限の病気だとしても、私たちは私生活での身体の距離と皮膚の接近によってのみ感動を受けていることを思い出させてくれるからです。

著者大学プロフィール
https://www.uliege.be/cms/c_9054334/fr/repertoire?uid=u015017




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