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20か国以上旅をしてきた私が熱心なウズベキスタン信者になったわけ


初めてnoteに記事を書く。一番初めには、一番書きたいと思ってたことを書こうと思ったら、書きすぎてしまった…がよかったら読んでください。

これまで、約20か国旅してきたが、去年旅したウズベキスタンにドはまりしてしまった。

もはや、布教しているのでは?というレベルの熱量で、頼まれてもいない旅行報告会を友達、職場の仲間、家族にしまくっている。

そもそも、ウズベキスタンってどこ?という反応をよそに、現地で撮った写真を見せると

「きれい!行ってみたい!」「ずっと見ていられる景色だね」

と反応は上々。その反応を見て私まで、嬉しくなってくる。

ただ、現地での体験談を話せば、話すほど、

「私には無理からかな……」「そんな大変な目に合うなら、行きたくない」

と反応は一転する。

たしかに、冷静に振り返ると、ひどい旅な気もしてきた。とにかく、とにかく大変な旅だった。

でも、私はウズベキスタン、特にそこに住む人たちを大好きになってしまったのだ。


 中央アジアにあるウズベキスタン。日本からも数は多くないが直行便もでている。シルクロードの歴史を残す観光地として、人気も高まっている。そんなウズベキスタンに私と友人と10日間の旅に出た。

旅先にウズベキスタンを選んだ理由は、テレビで紹介されていたからとか、周りで行ったことがある人がいないし、珍しくていいな。それくらいの軽いものだった。

 私も友人も普段一人旅をしているせいか、日本の団体ツアーが苦手だ。そこで、現地のツアー会社に申し込むことにした。現地ツアー検索サイトで探した評価がよさそうな会社に連絡を取り、自分たちの行きたい都市と日程を伝え、メールでやりとりをしながら、ツアーの内容を決めていった。

 このやりとりのなかで、私は対応に不信感を抱いていた。いつになっても、宿泊先のホテルや、詳細の日程が送られてこないのだ。そもそも、当日どうやって空港で落ち合うかも連絡がない。こんな適当な人にまかせて、私の旅はどうなってしまうんだろうかという不安を覚えながら、旅立った。

 10時間近くのフライトから降り、空港に着くと、私の名前の書かれた紙を手に持つ、ポロシャツにチノパンの60代くらいの男性がいた。私のおじいちゃんに似た顔とそのファッション。まるで、孫を迎えにきたようなその出で立ちに、この人は本当にツアーの送迎なのか、どこかに連れていかれるんじゃないか、また不安がよぎった。

 早速、駐車場に向かうと、年季の入った普通の乗用車に案内された。ますます怪しいが、いまは乗るしかない。

 車内で話を聞くと、このおじいちゃんの名前はバトゥーさんといい、私たちの旅行をコーディネートしてくれた旅行会社の社長だという。空港からホテルまで1時間弱の車内、ひたすらマシンガントークが止まらない。長時間のフライトで疲れた私はうんざりしていた。この人と10日間過ごさないといけないのか…と思うと、さらに気持ちが落ち込んだ。

なのに、このバトゥ-さんがいなければ、私がこんなにも、ウズベキスタンを好きにならなかっただろう。

 登場から怪しいが、翌日からもめちゃくちゃだった。バトゥーさんと別のガイドが街を案内してくれることになったのだが、

 WhatsappというSNSで、1時間おきに

「楽しんでるか?」「今どこにいるか?」

と連絡が入る。返事をしないと

「何か問題があるのか?」

と聞いてくる。観光を楽しみたいのにな…とまたもやうんざりしていた。

同じような確認がガイドにも来ていたようで、若いガイドはちょっとうんざりしていた。

数日後、バトゥーさんと会ったときに、またいつもの確認をしたあとに、

「君たちを娘のように思っているし、大切なゲストだから、君たちがちゃんと楽しめているかが、心配なんだ。自分がガイドするときには、目の前で様子が見られるが、そうではないときは、どうしても気にってしまって、そのガイドにも確認をしてしまうんだ」

そういわれて、思い出した。この人は私たちのおじいちゃんなんだ。

「体調くずしてないか?」

「これもおいしいから、食べなさい」

「まだ食べたりないんじゃないか?」

時には面倒に感じてしまうほど、おせっかいで、度を越したホスピタリティー。

おじいちゃん、そう思うと、急におせっかいも愛おしくなってくる。

翌日から私と友人はこのバトゥーさんのことを、こっそり、おじいちゃんと呼び始めた。

 バトゥ-さんは、旅の終盤、別の都市へ移動する私たちが心配で、車で片道300キロの距離を運転し、その都市まで駆けつけた。理由はやはり

「君たちが楽しめているか心配だったから」

実の祖父でもそこまでしてくれるだろうか。もはや、ホスピタリティーの域を超えている。

 ただ、そのホスピタリティー精神が、時に暴走をし、ツアーの旅程や宿泊先がコロコロ変わる。そのたびに、押し問答が始まる。

 「こっちのスポットの方が面白いと思う」

「もっといいホテルが見つかった」

と私たちが行く予定がない場所を組み込もうとしてくる。

「私たちが行きたいのは別のスポットだから」

と交渉をすることになるが、やんわり伝えても、全く伝わらない。

 「その場所もとてもいい場所だと思うんだけど…‥」

とでもいうと、

「そうだろう。じゃあそこへ行こう!」となってしまう。

お金を払っているのはこちらのはずなのだが、なぜかこちらの意見が通らない。

はっきりと

「その場所へは行きたくない。私たちが行きたいのはこっちだ」

と伝えると、ちょっと残念そうな顔をして、折れてくれる。

当初送られてきたスケジュールに時間がかかれていない理由が、その時やっとわかった。時間を書いても、すぐに変わってしまうから意味がないのだ。

 

日本では、スケジュール通りに行動することが大切にされるが、慣れてくると、この柔軟さが不思議と心地よくなってくる。その日の体調、気分で行先を変えることができる。この行き当たりばったりツアーは、意外と最強のツアーなんじゃないかと思い始めた。

 そして、普段の生活では「○○はしたくない」と強く自分を主張をすることは難しい。輪を乱さずに、社会で生きていくための処世術として、無意識のうちにオブラートに包んだり、その気持ちを飲み込んだりしている。

 このバトゥーさんとのやり取りにはじめは疲れ切っていた。ただ、数日たつと、自分の気持ちをはっきりと伝えることがとても気持ちいいことに気が付いた。

 最終的に、思った通りにならなくても、自分の思いを伝えた結果なら、思いのほかすっきりするものだ。

これは、市場での交渉でもそうだった。

「高いかな……」

と心の中で思いながら買うよりも、一度

「これ安くならない?」

と聞いた方が、結果的に安くならなかったとしても、納得して買うことができた。そんな日本では図々しいと言われてしまいそうな、ウズベキスタン流のコミュニケーションがどんどん楽しくなり、どんどん引き込まれていった。

 もう一つ私たちを苦しめたのが、ウズベキスタンの人々の寛容さだ。よく言えば、寛容、悪く言うと適当さかもしれない。

  ウズベキスタンという国は、多くの民族で構成されている。それぞれの文化も風習も異なる。お互いに寛容で、許しあわないと、互いに衝突してしまい、うまく暮らしていくことができないとう説がある。細かいことに目くじらを立てない民族性らしい。

 初日はその適当さにイライラした。当初来る予定の時間にガイドが登場しないのだ。事前に連絡もない。こちらから連絡をすると、子供が熱を出したので、別のガイドに代理を頼んだ。その代理のガイドがもうそろそろ到着するという。結局、代理のガイドが到着したのは当初の集合時間の30分後だった。

 その後も、次の目的までの所要時間を聞くと、4時間といっていた。そのつもりで車に乗っているが、6時間たっても到着しない。

 ドライバーが途中で自分の買い物を始めるが、注意するでもなく、ガイドもそれを楽しそうにみている。

こんなことが日々起こった。でも、あまりにもこのようなことが起こりすぎると、イライラしても何も変わらないと気が付き、諦めるしかなくなった。一度諦めたら、不思議とふっと楽になり、むしろネタとして楽しめる、そんなレベルにまで変化した。

旅の後半のとある日、ウズベキスタンから隣国のトルクメニスタンに移動した。国境を越えたところで、ガイドが待っているはずなのに、誰もいないのだ。砂漠地帯の何もないところに置き去りだ。

SIMカードもないし、英語を話す人もいない環境に置き去りにされて、周り白タクの運ちゃんにボディーランゲージで電話を借りて、なんとか連絡がつき、怪しい両替商などに囲まれながら、砂漠地帯の真ん中で待つこと1時間。やっとガイドと会うことができた。

なんと、ガイドに私たちの到着日時が間違って伝わっていたらしい。慌てて到着したガイドは私たちには謝ってくれたが、間違え日時を伝えた相手には一切怒らない。何事もなかったかのように、私たちを車に案内した。

旅の前半で鍛えられたせいか、こんなあり得ないことが起こっても、全くイライラしなかった。日本だと信じられない落ち着きだ。

ガイドが来なくても、そのうちくるだろうと構えている私がいた。この寛容さの居心地のよさにすっかりなじんでしまったのだ。

 数えきれないほど予定は変わるし、来る予定だったガイドが来なくて、砂漠に置き去りにされたこともあった。

それでも、たった10日間で私はウズベキスタンに暮らす人々が大好きになって、今日もこうして、ウズベキスタンの魅力を布教している。

あのパワフルさ、柔軟さ、ホスピタリティーの高さ、寛容さ。日本帰国の翌日から、すぐにウズベキスタンでであった人々のことが愛しくてたまらない。

傍からみたら、ひどい目にあっていると思われても、1度好きになってしまったら、そんな欠点さえも、魅力にみえてしまうのだ。

また会いに行ける日がきたら、みんなに会いに行きたい。

≪終わり≫

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本当に感動して、ふだん写真を撮らない私も、気が付いたら1,000枚くらい写真を撮っていた。この写真はみんな興味を持ってくれる。

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このあと、ガイドが見つからず、1時間置き去りにされる。



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