【第八夜】ひとり
真夜中に目が覚めた。
「ひとり」だということが、こんなにも心許なくて、不安でさみしいことだなんて知らなかった。
もう立派な大人で、小さな子どもがいてもおかしくないぐらい年を重ねているのに……私は今、迷子になった子どもみたいに不安で押しつぶされそうになっていた。
「洋二さん」
「ああ、美幸ちゃん」
「ちゃんはないでしょう、私明日で25だよ」
「しょうがないだろ、今更呼び方なんて変わらないよ」
葬儀場の喫煙所でタバコを吸う洋二さんを見かけ、私は声をかけた。洋二さんは母の友人の一人で、昔から私もなにかと世話になった。私にとっては、小さい時に亡くなっている父の代わりのような存在だ。けれど、久しぶりに見る洋二さんの背中は、自分の知ってるそれよりもなんだか一回り小さく見えた。
「お母さん、幸せだったのかな」
私は洋二さんに聞くともなく、つぶやいた。洋二さんはタバコをふかしながら、私を見つめた。
「美幸ちゃんは?」
「え?」
「美幸ちゃんはしあわせじゃなかったの?」
そういいながら、洋二さんはタバコを吸い、その煙を空に吐き出した。
「私はしあわせだったよ。でもお母さんは!……お母さんは……裏切られたのに、それでも私を育ててくれて……私がいなかったら、もっと自由で幸せだったのかなって……」
言いながら、涙があふれてきた。
「佐知子はさ、しあわせだったと思うよ。」
「そうかなあ……」
自分が母と血のつながりがないことは、成人した時に母から聞いた。最初は信じられなかった。正直動揺して、しばらく母とまともに顔を合わせられなかった。
けれど、変わらない愛情で接してくれる母を見ているうちに、血のつながりなんて関係ないのかも、と肩の力が抜けた。一緒に過ごしてきた時間の分だけ、共にしてきた食事の分だけ、重ねてきた思い出の分だけ、人は家族になれるのだと母が身をもって教えてくれた。
母は女手一つで働きながら私を育ててくれたけど、できる限り一緒にご飯を食べてくれた。ご飯を作ってくれた。特に私は母が作るオムライスが大好きで、小さな頃は毎日のようにオムライスをねだっていた。
「美幸ちゃん、ほんとはわかってるんだろ?佐知子がしあわせだったこと。俺は羨ましかったよ。俺だって佐知子と家族になりたかったのに」
洋二さんがタバコの火を消しながら、そう言って笑った。
「洋二さん……」
「なんかあったら、まあ、なんもなくてもさ、あいつの代わりに手貸すから、いつでも連絡してこいよ。」
洋二さんはそう言って、私の頭をポンポンとたたいた。
「うん……」
ぼやけた視界の向こうに、遠ざかっていく洋二さんの背中を見るとはなしに眺めていた。
暗闇の中、私はふとんの中で何度も寝返りを打つ。明日は大事な仕事がある。ずっと担当してきたお客さんの結婚式当日。休むわけにはいかない。早く寝て体調を万全にしておかなくては。そう思うほど、目は冴えていく一方だ。
「お母さん……」
記憶にない、写真でしか知らない父もがんだったという。母までががんだなんて、神様は意地悪だ。仕事もしていて、母が遺してくれた家もあって、年齢的にはもう、親がいなくても生きていける大人で、なのに……心はまるで子どもみたいに母を求めている。いや、無条件に心を許せる「家族」という居場所が急になくなって、戸惑っているのかもしれない。
友達もいるし、恋人もいる。でもそれでは埋められない大きな穴が心にぽっかりと開いたまま……私はひとりうずくまっていた。
それでも明日、笑顔でいなければならない。人様の結婚式という、人生の中で一番輝かしい瞬間に立ち会い、祝福する、そういう仕事を自分で選んだのだ。
「ふー」
大きく深呼吸をする。私は深くふとんに潜り込みぎゅっと目をつぶった。
「おやすみなさい」
その囁きは暗闇に悲しく響いただけだった。
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