
推し活の本質とは? 推しの幸せを祈った分推しを呪わずにいられない
推し活の本質とは? 前半ではイマジナリー推しの創造についてお話しました。
後半となる今回は、推しのイマジナリーキャラを介して推しを取り巻く周辺環境とどのようにかかわっていくか見ていきたいと思います。
「推し活」は推しのイマジナリーキャラを介してファン、運営、原作者とつながる活動
推しができると、本人、公式が供給する情報だけでは飽きたらなくなり、他のファンと感情を共有したい、他のファンの見方や解釈を知りたい欲求に駆られるようになります。
そして個人的な活動では満足できなくなるようになると、コミュニティで感想を語ったり、他のファンの意見や解釈を見ることで、推しへの理解を深めていくことになります。
こちらはポジティブな要素ばかりではなく、いわゆる愚痴アカウントのようなネガティブなものも含みます。
次第に当たり障りのない推しの公式アカウントよりも、推しや運営への本音が聞ける鍵垢アカウントを覗いたり、こっそり意見交換したりするほうにより時間と関心が割かれるようになります。
実は筆者も時たまそのようなアカウントを覗いてしまうときがあるのですが…。良いところも悪いところもひっくるめて推しの全てが知りたい!というような感情を抱いてしまうんですよね。
ここまでくるとファンダムに所属せざるを得ない状況になりますが、こちらの集団はお互いがお互いを意識し合う、いわゆる監視社会のようなものです。
それがもとで中には「推し疲れ」になる人もいますが、これは推し活をする上は避けては通れないのです。

ドルオタの推し活世界の実態

「推し」よりも「推しの周辺」のほうが重大な関心事?
アイドルオタクが熱心に推し活を始めると、ファンや運営を意識することになり、次第に意識が推し本体からファンコミュニティ、運営、プロデューサーの動向に向けられるようになります。
そしてそれは、時として推し本体よりも重要な関心事になることも…。
推しの疎外化が進行して行き着くところまで行き着くと、運営が不手際が許せない、ファンが嫌い、という本人とは関係ない理由で推しの担当から降りることがあります。
お茶の間ファンでは起こりえない、コアファンならではの手段と目的の逆転現象と言えるでしょう。
純粋に好きな気持ちでスタートしたのに…。不信感、猜疑心、他責思考から逃れられない
熱愛報道がすっぱ抜かれたり、結婚報道が発表されると平穏な気持ちでいられません。
即座に相手を品定めして、自分が許せる相手かどうか判断するが、推しはなぜ彼女が好きになったのか?など推しの心情についての考察は遮断されていることが多くなっています。
さらに、「恋愛するのはいいが、絶対に私達にわからないようにして、それがプロ」「お金を払っているんだから意見をするのは当然の権利」など本人の意識が槍玉にあげられることも。
しかし、冷静に考えると発覚しないだけで推しの遊びや恋愛事情は容易に想像できるし、一介のオタクには推しの恋愛を禁止する筋合いもありません。
こうしたストレスが一定続くと、ふとした瞬間に虚無落ちすることがあります。
二次創作を通した推し活の世界

「作者」よりも「二次創作絵師」のほうが重大な関心事?
腐女子が推し活を行う場合、ときに原作者、編集、運営といった公式側よりも二次創作者がつくりだした二次創作キャラのほうが人気を獲得する場合があります。
自分の中にあったキャラの「解釈」をより深めてくれたり、新たな発見のいざないとなったりと二次創作の絵師は単なる翻訳者や媒介者を超越した存在(神)となるのです。
『同人女の感情』(真田つづる著)では、神と称される同人作家とファンダム、そしてその中での自分の立ち位置について描かれており、多くのファンの気持ちを的確に表現したことで腐女子からの共感を得ています。
崇拝している二次創作者が創作を辞めることがきっかけで原作に興味を失うといった事象も見られており、原作者よりも二次創作絵師重視の逆転現象が起こっています。
原作者と自分のキャラの解釈違い-◯◯はこんなことしないのに…。
二次創作絵師の描く二次キャラクターは、原作者の描くキャラクターと比べてわかりやすい外見的な特徴、エピソードを除き、まったく原型をとどめていないことが多々あります。
この世界に入れ込んでしまったオタクからすると、二次創作での推しこそ正であり、原作の推しとのギャップに苦しむことになります。
原作者はファンダムから表向き一定のリスペクトを受けていますが、原作者と自分のイメージするキャラクターに根本的な解釈違いを感じると、ついつい裏切られたような気持ちを抱くことも…。
2次元キャラはスキャンダルこそ起こさないが、こういった原作との解釈違いで思わぬダメージを食らうことがあります。
こう見ると、ノイズが入らない(=新しい情報がない)二次元コンテンツが最強に思えるかもしれませんが、次々に新たな人気のコンテンツや新しいキャラが出てくると目移りして活動が停滞し、結果としてジャンルを降りてしまうことになります。
推し活の実態は主客逆転の矛盾要素
「私達のお金で活動できているのだから意見は言わせてくれ」
「アイドルは結婚観は語るな、応援するモチベ下がる」
「週刊誌に撮られるのはプロ意識が足りない」
「公式が解釈違いしてる」
「飛影はそんなこといわない」
ファンの生み出すイマジナリーキャラは、実際のアイドル、キャラクターと乖離している場合が多くなっています。
自分の願望と激しく異なる場面に出くわすと、ファンの願望に推しの思考行動をあわせてほしい、そのように振る舞ってほしいという発言をするファンも。
ファンが自分のイメージに実体アイドル、オリジナルキャラを規定しようとする完全な主客逆転現象が発生するのです。
とは言いつつも、客観的に見るとアイドル本人、原作者の思いとは別の解釈、設定をしているうしろめたさも抱いており、常に自戒しないといけない!という気持ちはあるし、同じファンが公共の場で自分と似た妄想を垂れ流すことに嫌悪を感じてしまうのが複雑なオタク心理というもの。
そこで、懺悔の意味を込めて戒律的なローカルルールを生み出されます。
たとえばアイドル本人が二次創作を気にしないと公式発言しても、「ナマモノは本人にさらしてはいけない」という誰が言い出したのかは分からないが強固なルールは残っています。
このような不合理なルールや独特の用語、伏せ字といった文化がアイドル、腐女子ファンダムではよく誕生し、流通します。
こう書くと「推し活」にはネガティブな側面しかないように見えるけれど…?
憧れ、かっこいいだけのコンテンツは継続しない!
このような主客転倒的な矛盾要素を持つコンテンツは長く愛される傾向にありますし、また忘れられたと思われていても再活動を開始するとファンが戻りやすいことが特徴です。
"ストーリーが面白い""プロとして技術が高い"といった世の中で「良い」とされているコンテンツ基準とは別の基準が働いているとしか思えません。
外部の人間からみると矛盾の塊としか思えないかもしれませんが、この矛盾の多さこそが特に女性向けコンテンツの肝であり、人気の鍵となります。
まとめ
推し活は矛盾、価値転倒を繰り返してどんどん強化されるものとなっています。
【第1フェーズ】
推しへの関心からスタートし、感情が行き過ぎると推しとは別の「イマジナリー推し」を作り出すようになります。
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【第2フェーズ】
次第に推しと関わるメンバーや組織に関心が向き、さらには他のファンが推しをどう思っているのか気になり、ファンダムと関わるようになります。
すると、推し本体よりもむしろファンダムの声や解釈が面白いと感じるようになり、気がつくとファンダムの声や解釈を通した目線でしか推しを見ていないことに気付きます。
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【第3フェーズ】
「推し活」の虚無、うしろめたさを感じると矛盾解決の理論、ルールの構築が出来上がります。
そうすることでファンダムの強度が上がり、コンテンツの強度も同時に上がるようになります。
自身に都合の良いように解釈を織り交ぜた「イマジナリー推し」が見せてくれる夢(作用)が心地よくて、たとえ現実とのギャップ(副作用)に苦しもうとも依存からは抜け出せない。
推しの幸せを願った分だけ推しを呪わずにいられない。
そして推しは疎外され関心はファンダムや運営とのかかわりに移っていく。
しかし――これこそが沼なのです。