アニメ作品は多すぎるし、消耗品みたいだよねって話

今の深夜アニメってマジですごいと思う。
わずか12話しかないのに、面白いし、構成もしっかりしている。というのは、やはり作品数が多くて、競争が激化しているからである。

アニメの作品数が年々増えていて、
2000年ぐらいまでは年間に100作品ぐらいあって、さらに10年後には倍の200作品。さらにさらに近年では300作品近く作られている。増えすぎ。

もはや見切れないし、面白い作品があっても、その作品の続編が作られないってことも多々ある。アニメ業界ってのは本当に大変なんだなって思う。

毎年12話構成の話をいくつも出さなくてはならないから、ネタを漫画や小説からたくさん引っ張ってくる必要がある。だから最近は漫画投稿サイトも小説投稿サイトも無料で誰でも投稿できるようにしている。数を集めれば集めるほど、面白い作品がいくつかあがってくるからだ。いくつか目星をつけて、結果が出そうな作品から連載を始める。そして結果が出なかったら切り捨てて、次々と新しいものを投入していくのだ。
作品が拳銃の弾だとして、読者の胸に撃ち込めたものだけが生き残る。
読者にヒットしなければ、何度も銃弾をリロードして、
読者の胸に当たるまで連射するのだ。
当たらなかった弾はそのまま放置され、回収されることは無い。

アニメは今後どうなってしまうのか。私が思うにどう考えても作品数が多すぎる。使い捨てのようにたくさん作品は作られ、たくさん作品が完結していく。何というか、その場で使ってすぐ捨てちゃうホッカイロみたいな感じ。

面白い作品も沢山あると忘れ去られてしまうものが多くなっていく。増えれば増えるほどネタは無くなっていく。
ただしジャンルが変われば、アニメや漫画も歴史が続くと思う。
例えば「歌」。昭和では演歌が流行っていたが、今では全く主流ではない。jpopとかネットではボカロとかそんなジャンルが流行ってる。今のアニメが演歌だとしたら、別のアニメの概念が生まれて、異なったアニメが作られていくのではないかな。アニメの枠組みの中で別の概念が生まれれば長生きするだろうし、それが歴史となる。

アニメは面白いし、まだまだ息が続く文化だと思う。
今後はアニメの枠組みの中で変化するのか、それともアニメの代わりが出てくるのか、どうなんでしょうね。

私の創作物も常に世間を踏まえつつも斜め上のモノでありたい。
歴史が続くには変化が必要だ。同じものを作るだけでは成長も変化も無く、その文化は終わりを告げる。
だから私は他人と似たようなものを作るつもりは全く無い。常にオリジナリティでありたい。っと思っている。
それは私自身もそう。誰かの二の次になるのはごめんだ。
自分がいつまでも子供のままでは成長が無い。
自分が著名人と一緒ならば、自分の存在は意味がない。

数が増えようが、競争相手が多かろうが関係ない。
常にオリジナリティが未来を切り開いて歴史を作ってきたからだ。来年のアニメは未来を切り開くものが出てくるのかどうか、楽しみである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?