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シンガポールのワークショップから考える、日本語コミュニケーションの特徴について

こんにちは、演劇家の藤原です。

世田谷パブリックシアター「地域の物語2020 家族をめぐるささやかな冒険」という企画の関連で、先日シンガポールに行ってきました。


昨年の「地域の物語2019」について書いた記事はこちら↓
https://comemo.nikkei.com/n/ne7dcfa489f7e

「地域の物語」というのは、あるテーマについて集まった人たちで意見を交わし考え、お互いの物語を掘り起こしながら、そのワークショップ過程を演劇の形に組み上げて、最後は、世田谷の劇場・シアタートラムで来場者にシェアするという企画です。今年のテーマは前年に引き続き“家族”。私は、振付家の山田珠美さんと一緒に、《『家族の距離』について考えるごちゃまぜ部》のファシリテーターを務めることになりました(もう一つ、性自認が男性の方で“家族”を考える、男子部もあります。)。
https://setagaya-pt.jp/workshop_lecture/202001chiikigochamaze.html
私達のごちゃまぜ部では、家族との物理的な距離や、心理的な距離を手がかかりにして、意見を交わしながら、自分にとっての“家族像”を改めて捉え直していきます。

本格的なワークショップは1月から始まるのですが、(今月23日まで参加者募集中ですので気になる方はぜひ!世田谷区民じゃなくても、テーマに関心のある方ならどなたでも大丈夫です。)今回、企画の中でシンガポールの方と交流する部分がある為、リサーチをかねたワークショップに訪れた、というわけです。参加者は、現在シンガポールに住んでいる、いろんな国出身の方達。出稼ぎのためにシンガポールで働いているメイドさんや、労働者の方もいました。

同テーマの昨年の発表で観た、「舞台上で、自分と家族の心理的な距離を空間に可視化する」
というのがとてもおもしろかったので、今年もそれを試してみようということになり、2日間のワークショップのメインにしました。
ワークの中から、一つをご紹介。

■母との距離のワーク
空間の真ん中に「母」役の人が立ちます。そして、参加者には、真ん中の「母」に対して、空間の中で自分が思う心理的な距離を取って、立ったり座ったり寝そべったり、そしてどちらの方向を向いているかを決めて、位置どってもらいます。
そして、参加者に、なぜその位置にしたのか、その向きを選んだのかをインタビューしてまわります。

・わたしは自立しているから、少し距離をとったところに、母と同じラインで立ちました。けど、わたしの方が少しだけ彼女の方を向いている。
・産まれてからずっと母は自分にとって近い存在。そして、家族の中で母がリーダーだから自分はその真後ろに立ちました。
・母は随分前に亡くなってしまった。でも母のことは時折思い出します。だから少し近くから、母を見上げています。

など、
様々な理由が語られました。特に、“independent/自立”というワードが出てきたのが印象的でした。

■言語と無意識
さて、昨年の日本のワークショップ発表は観客として見ただけなので、同じワークの内容で厳密に比較できるわけではないのですが(今後じっくりやっていきたいと思います)、とはいえ、これまで日本でワークショップをした感覚と比較して驚いたのは、「即座に明確に理由が語られる」ということでした。なんというか、もう予め決まっていた、当然のことのように、ズバッと語られる。

日本だったら、こういうワークショップのとき、なんとなく動いてみて、なんとなく理由を言葉にしていくなかで、いつのまにか気づいていく、というもっと曖昧な空気感がある気がするのですが、他のワークでも、とにかく参加者同士の指示が明確、意見の交換が早い。

移民が4割の国シンガポール。今回の参加者のほとんどがシンガポール以外の国のルーツを持つ人達です。英語が母語でない人も多く、使われる「英語」というのは、そもそもの文法上の言語の性質も含めて、わたしたちが使う「日本語」よりも、もっと身体から切り離されたもの、手段、のように思えました。言葉という武器を使ってコミュニケーションしている感じ。
それに比べて日本語というのは、自分の身体を差し出しているような感覚に近いのかもしれません。だから、口から出した言葉の頭からお尻まで全て、相手に与える印象に影響してしまう怖さが生まれ、空気を読み合う、という文化に繋がっているのかも。
そうやって考えると、日本語のコミュニケーションで空気を読みすぎたくないのに読んじゃいそうな場面では(笑)、もっと言葉を身体から離れたもの、手に持ったコップを相手に渡すような形で言葉を扱えば、解消するコミュニケーションもあるのかな、と思いました。

手と手を重ねて、二人で一緒に動くという定番のワークもシンガポールでやってみたのですが、それは、日本でやるほうが繊細に感覚をキャッチし合うのが得意だな、と感じました。これに関しては空気を読み合う日本語文化の長所とも言えます。

「地域の物語」のワークショップでは、誰かの物語に耳を傾けたり、他者の言葉を発話したり、演劇的なプロセスを経ることで、普段意識していなかった新たな視点を獲得し、より社会をしなやかに思考するきっかけづくりを目指します。

今回シンガポールで、あまりに明確に語られるワークショップ参加者の様子を見て驚きながら、日本語の思考で考えていたときは、(日本語のように)語られる言葉とともに引きずり出される無意識がある前提でワークを考えていたことに気づきました。

このあともシンガポールの参加者と共同作業が続いていくので、英語でのアプローチについて、引き続き検証してみたいと思います。それに照らして、日本語の特性について気づきがまだまだありそうです。


全13回、と少し長丁場ですが、これだけ誰かと対話を重ねてじっくり「家族」について考えてみる機会はなかなかないと思います。
ご興味ある方は、是非、応募してみてください♪

【参加者募集中! 12/23〆切】
地域の物語ワークショップ2020 家族をめぐるささやかな冒険
「『家族の距離』について考えるごちゃまぜ」部
日程 2020年1月12日(日)~3月22日(日) 全13回+発表
ファシリテーター:藤原佳奈(演劇家/mizhen) 山田珠実(振付家)
https://setagaya-pt.jp/workshop_lecture/202001chiikigochamaze.html








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