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馴染みの店の50周年を祝いに行きました

昨日、3月6日は、私が長年通っている店の50周年記念日でした。

1970年3月6日にオープン。本当は2月末に開業するはずが、雨が多くて内装が乾かなくて遅らせたんだとか。

万博景気で東京も上り調子。元々夜の街で飲みまくっていて、そんなに飲むならば店やった方が安いよ、と言われたマスターなので、お友達が客になって、大盛況。あっという間に寝る間もないほど忙しくなり、開業資金もすぐに回収したとか。

私がその店に初めて行ったのは、1983年7月のことなので、今年で客になって37年目ということになります。大学4年生で渋谷でバイトして大塚で演劇塾に通っていた私は、大学近くの喫茶店のバイト仲間に連れられて、この店に来たのでした。

厚い一枚板の扉は重く、入りやすい店ではありませんでしたが、演劇人、音楽人が多い客層にすっかり馴染んで、常連となり、マスターは私の東京の父となったのでした。

バブルの頃には、朝4時までタクシーがつかまらず、店で時間を潰してから帰ったり、バブル紳士が主催するドンペリと松茸パーティを開催したのにご相伴に預かったり、いろんなことがありました。

93年に結婚した時には、店でパーティもしていただきました。マスターに結婚保証人のサインをしてもらったので、離婚する時にはマスターに慰謝料を払わないといけないと言われたものです。

2000年に今の場所に移転。バブル後の地上げを断り続けていた大家さんが亡くなった途端、その息子が土地を売っちゃったんだそうです。スペインをイメージした内装と重い一枚扉が独特の雰囲気だった店が無くなったのは悲しかった。

いろんなことがあった(3回出入り禁止になったりとか)けど、マスターの喜寿のパーティ、40周年記念パーティでは受付とか招待状作成とか裏方を担当し、お客というより店側の人間として振舞ってきたし、常連を代表してお祝いの挨拶もさせてもらいました。

そして、40周年記念パーティで後継者として今の2代目マスターが認められて、それで安心したのか2012年にマスターが亡くなって。不況下でもなんとか頑張っているのに、わずかですが貢献してきました。

今年秋に50周年パーティを開催することが決まっています。

この店が私のかなりの部分を形成してくれた社交の場であり勉強の場であり、人生のサードプレイスです。この店があってよかったと心から感謝しています。そんな店と常連の皆さんに出会えたことが私の人生の幸福です。

おめでとうございます。そして、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。