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内海桂子師匠の高座を見ておいて良かった

人間国宝になってもらいたいと思う芸人がまた一人亡くなりました。

大正に生まれ昭和、平成、そして令和と時代とともに97年の人生を駆け抜けた内海桂子さん。1歳になる直前に関東大震災が起き、その後も満州事変、二・二六事件、第2次世界大戦…歴史の波に翻ろうされ、貧困とも闘う波瀾(はらん)万丈の人生。その全ての経験を糧に芸を磨き続けた。

もう生きているだけで芸です。

そんな桂子師匠の漫談を見ているのは、今となっては誇りですね。

「名鳥名木 何の木に留めた」の掛け合いや、まだまだ健在の奴さん踊り、三味線弾いて都々逸、マイペースなステージは会場を埋めた年配の方々(平日の13時開演ですから、ほとんどが年配です)に元気を与えたんではないでしょうか。

5年前です。

Twitterでもお見かけしていましたが、アップされていたのはマネージャーでもある旦那さんでした。

このツイートが最後だったのは、旦那さんの成田さんが脳出血で倒れていたからだったと、スポニチを読んで知りました。

そんなさなかの4月15日、成田さんが脳出血で茨城県のゴルフ場で倒れて緊急搬送され、約1カ月ほど意識が混濁。仕事関係者のみならず、近親者も行方が分からず連絡がつかない事態が続いた。49万人ものフォロワーがいる師匠のツイッターは成田さんが師匠の言葉を聞いて、つぶやきを投稿していたため4月14日でストップ。「お二人とも大丈夫ですか?」と心配する声が相次いでいた。

成田さんが退院したのが23日。

師匠の葬儀の手配などを無事に勤めることができたそうです。

5、6年前には孫に当たる長男の息子と養子縁組し静かに終活も進めていた。この日はその息子が喪主を務めた。成田さんはその姿を見つめながら「師匠が私の回復を待ってくれていたのでしょう。見送りができてよかった」と声を詰まらせた。

最期まで見事な人生を見せてくれた内海桂子師匠は、まさに粋な人だったんだなと思います。

志らくは「長生きも芸のうちだってよく言いますけど、近頃は早く亡くなることによって伝説になるという美学があったりするんだけど、長生きも芸のうちってことを最後の最後まで実証してくれた。最後の最後まで、ツイッターなんかでも世の中を斬った、芸人の大先輩」と称賛した。

長く生きるだけではなく、見事に生きることができる人はそうはいないと思います。

こう言う方に人間国宝とかあげるといいのになあと思います。

国民栄誉賞でもいいんですが、あれは首相が目立ちすぎるので、どうかなあ。

出版予定もあったようです。

まだまだ元気で生きるつもりだったんですね。

本人は死んだと思ってないかもしれません。

天国で、桂子・好江の漫才を復活させてください。合掌。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。