終末のその後に……

『S-Fマガジン』で連載をしていた「アニメもんのSF散歩」より、ポスト・アプカリプスを描いた作品を取り上げた回です。この連載は基本的に、タイムリーなアニメを1作とりあげ、その作品を読解しつつ、それにまつわるキーワードから連想されるSF小説を取り上げていくという趣向です。今回取り上げているのは『少女終末旅行』『火星年代記』『ポストマン』『地球の長い午後』『渚にて』。

SIDE-A 今回のお題 『少女終末旅行』
 舞台は文明が崩壊してなら長い年月が過ぎた未来。生物もほとんど死滅し、残っているのは廃墟となった巨大都市だけ。そんな世界をチトとユーリという2人の少女が、ハーフトラックのケッテンクラートに乗り、階層都市の最上層を目指して旅をしていく。『少女終末旅行』はそんな作品だ。
 原作はつくみずの同名マンガ。そのうち4巻までのエピソードがアニメ化され。二〇一八年1月から全12話で放送された。原作のエピソードを2つもしくは3つまとめて1話分にしている。
 本作を象徴するのはエンディングテーマ『More One Nigh』の冒頭に入るチトとユーリが声を合わせて言う「終わるまでは終わらないよ」というセリフだ。全編を通して見ると、これが実にうまい具合に本編の立ち位置を示しているとわかる。
 世界はどうして終末を迎えたのか。作品の前半では、そこにあまりフォーカスは当てられていない。むしろ「終末の中の日常」が主な題材として描かれる。「風呂」「日記」「洗濯」「写真」「住居」「昼寝」「雨音」(これらのサブタイトルは原作からそのまま持ってきている)といったサブタイトルの単語が、その雰囲気をよく伝えている。たとえば第1話後半の「戦争」というエピソードで、チトとユーリは廃墟に残された兵器や戦車、飛行機の残骸から過去に起きたらしい戦争に思いをはせる。だが、それは最終的に、レーションをめぐる二人のケンカ(=戦争)という日常へと収斂していく。過去の戦争は、巨大な階層都市も作った“古代人”たちの行ったことで、どうやらふたりとはかなり距離がある出来事のようだ。
 こうして二人は、過去の戦争の影をチラチラと感じながらも旅を続けていく。その雰囲気がぐっと変わるのは、第11話の「破壊」。ふたりの前に落下してきた巨大な二足歩行兵器。コクピットに入り込んだユーリが何気なくレバーを触ったところ、ロボットからミサイルが発射される。さらにユーリがボタンを押すとビームが放たれる。遠くの廃墟が火の海となり驚く二人。
 そして第12話前半の「接続」で、過去に何が起きていたかが具体的に映像として示される。原子力潜水艦を発見したふたりが内部に入ると、電源を入れたデジカメが反応をする。このデジカメは、二人が初めて出会った生存者カナザワから譲られたものだ。
 デジカメは、原子力潜水艦のコンピューターと接続したらしく、中の写真や動画が空中モニターに表示される。デジカメはカナザワから二人に譲られる前にもさまざまな人々の手を渡ってきたらしく、戦争が起こる前の映像も含め、その中には大量の写真や動画が含まれていた。
 原作は、無数の写真や動画が展開されている様子を見開きで描写したが、アニメでは戦争前に撮影された動画のの一つ一つを丁寧に見せていく。
 新生児を抱っこする夫婦。運動会の徒競走。クラシックのコンサート。スポーツ中継。会社で仕事をする人々。アイドルのコンサート。犬と駆け回る少女。平和な時代の平和な風景。
 そこに戦争の動画が挟まれる。空を埋め尽くす軍用機や激しい市街戦。空襲の痕跡や、街を焼き尽くす二足歩行兵器。電磁波爆弾が使用され、電子機器が一切使用不可能になったというニュースも保存されている。そして世界中の巨大都市が沈黙していく。こうしたこの戦争の顛末を語るくだりは、原作には描かれていない。
 さらに映像は、今はもういなくなってしまった魚や鳥など野生の生き物たちの動画も映し出される。このデジカメの中にあるのは、この惑星の上に、どんなことがあって、どんなふうに失われてしまったかの記録なのである。
 戦争前の人々の姿は、アニメならではの動きと声によって体温が宿っており、だからユーリの「私達ずっと二人っきりだけどさ。こうして人々が暮らしていたんだなってことがわかると……、少しだけ寂しくない気がする」というセリフが説得力をもって迫ってくる。
 ふたりがここで目撃したのは、この世界の「終わりの始まり」なのだ。
 そして続くエピソード「仲間」では、エリンギと呼ばれる“存在”が登場。エリンギは。核ミサイルや原子炉など、潜在エネルギーが高い物体を飲み込み、無力化させる存在で、ひとつつの都市で仕事を終えると、頭部の傘を広げて(だからエリンギに似ている)飛び立ち、別の都市に向かうのだという。すべての都市の処置を終えた時、地球は静かに眠りにつき、エリンギたちの活動も終わるのだという。さらにエリンギは、この都市にはチトとユーリしかいないと告げる。
 エリンギが語ったのはつまり「終わりの終わり」だ。そう遠くないいつか地球は眠りにつく。人間もいなくなる。カナザワもかつては二人で行動していたが、チトとユーリと会った時はもう一人だった。チトとユーリにもそういうことが起こるかもしれない。でも「終わるまでは終わらないよ」なのだ。そして、第12話は、チトとユーリの楽しかった思い出を象徴する挿入歌「雨だれの歌」が流れて締めくくられる。
 ちなみに原作はここから単行本2冊分エピソードがあり、彼女たちが最上層に到達するまでが描かれる。つまり彼女たちの旅の終わりが描かれ、そこで「終わりの終わり」の物語として完結するのである。
SIDE-B キーワード ポスト・アポカリプスもの
 ポスト・アポカリプスを描いた作品は、いろいろあるが『少女終末旅行』は、去っていった過去と、流れ去っていく旅の風景を重ね合わせることで「終わりの終わり」を生きることを描いていた。
 『少女終末旅行』の廃墟となった都市や誰も住んでいないマンションの部屋を舞台にした第5話の「住居」を見て思い出したのは、あまりに有名だけれどレイ・ブラッドベリの『火星年代記』の中の一編「優しく雨ぞ降りしきる 」だ。
 この短編は、ご存知の通り人間が出てこない。人間は核戦争で、その影を壁に焼き付けたまま消えてしまった、そして主のイない家が、自動装置に従って、目覚ましをならし、朝食を用意し“いつもの朝”を始めるというエピソードだ。

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