400文字の……(19)盗んだバイクの命題

 歌もまたフィクションの一種だ。
 だからそこで歌われる反社会的な行為は、一般的なフィクションの中での行為と同じに考えるのが妥当だろう。その中には自分の寄る辺なさや行くあてのない衝動を犯罪という形で歌うものもあるだろう。たとえば初期のサイモン&ガーファンクルのように。それを許せるかどうか。これをまあ仮に――S&Gを例に挙げたあとにこう書くのも変だけれど――「盗んだバイクの命題」とでもしておこう。
 描かれたことはフィクションだから、この命題に何を見るか、ということに尽きると思う。そして確かに「悪いことをしてしまう」というところにも人間性というのはあって、そういうキワキワを描く興味深さがあり、それは時に共感もよんだりするだろう、と思うのであった。もちろん、作り手はそこに「キワキワの部分」を描いたことの理由を問われた時に、ちゃんと答えられるように用意しておいたほうがいい。フィクションと考えると、「許せるかどうか」は法律の問題ではなく、結局個人がフィクションの中で何を描くのは許せるかという許容範囲の問題になってくる。歌は主観的なことも多いので、「悪いこと」が自己肯定的に表現されることで「許せなさ」を感じる人もいるはいるだろう。ただそれと、表現のコアはどこにあるかを考えることとは関係なく成立するはずだ(フィクションだから)。
 ちなみに僕は当時聞いた「卒業」にまったくのれず(「お前は大人の支配からのがれどこにいくのだ。それは、目の前にいるくだらない大人よりもよい大人になる道なのか?」という疑問を感じてしまったのだ)、尾崎豊は「I LOVE YOU」を歌うぐらいである。例の歌はなので当時以来、ちゃんと聞いたことはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?