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漫才論| ²⁸漫才って"読み捨てられる週刊誌"のようなものなの❓

スピードワゴンの小沢さんは,「漫才は週刊誌で,コントは単行本。コントは作品だから何回読んでもいい。漫才は会話だから2回目みたら嘘。週刊誌じゃないといけない。一回読んだら読み捨てられるのが漫才」と言っていますが,私の意見は違います

"読み捨てられる漫才"は,漫才の一つの「形」また「ジャンル」としてはありだと思いますが,「漫才とは読み捨てられるもの」という考え方には大反対です

小沢さんのように,「自分にとっての"漫才"は読み捨てられる週刊誌のようなもので,自分たちはそういう漫才をする」という信念をもって漫才をするのはいいことだと思いますが,その影響を受けて,「読み捨てられるのが漫才だ」と思い込み,よく分からないままそのようなネタを作るのはよくないと思います

"読み捨てられる漫才"をやる覚悟

本当の意味での"読み捨てられる漫才"を続けている漫才師は,それなりの覚悟をもってやっているはずです。例えば時事漫才であれば,「同じネタは二度と使えないかもしれない。その都度新ネタを下ろすことになるかもしれない。それでもいいネタを作り続ける」という覚悟がないと続けられません。そういう覚悟がなく,"読み捨てられる漫才"はかっこいいというイメージだけでやってしまうと,ネタの完成度が低くなってしまったり,ただ破天荒なことをしてそれがかっこいいと思う自己満足で終わってしまったりします

本当に"読み捨てられる漫才"をしたいのであれば,「一回しか使えないネタでもちゃんとしたネタを作る覚悟があるのか,それを続ける覚悟があるのか」考える必要があります。そういう覚悟をもってやっているからかっこいいのであって,"読み捨てられる漫才"がかっこいいというわけではないと思います

"じっくり育てる漫才"もある

漫才には,「読み捨てられる」タイプのものもあれば,「じっくり育てていく」タイプのネタもあります。「作品」と呼べるネタもあります。「何回もみたい」と思うネタもあります。それを理解したうえで,自分には,自分たちには,「どのタイプのネタが合っているのか」を考えて作ったほうがいいと思います

「読み捨てられるのが漫才」という表現自体がなんとなくかっこいいので,意味も分からずそれっぽい漫才をする人が増えないことを願います。自分たちに合わない漫才をやっても,結局うまくいかないからです

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落語や漫才のあらゆるオチを誰よりも先にNFT化し,落語や漫才やコントなどを作る際の元ネタとなる令和版『醒睡笑』を作っています 脳トレ&遊びながら落語NFTがもらえる『オチ当てクイズ🎯ゼツミョー大賞🏆』という企画もやっています