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うつ病の私が見ている世界

🍎 1 フジリンゴ族の非業な死

 義母の手によって、フジリンゴ族が非業な死を遂げてから、ふとした時、視界の隅に、銀色タイツのフジリンゴ族の両足が見えるようになった。
「更年期かなあ」
 私が言うと、
「一度、病院に行ってみた方が良いかもしれないよ」
 夫が言った。
 そして私は病院へ行ってみることにした。

 神社の参道の脇にある病院は、百日紅の花が咲いていた。
「フジリンゴ族ですか…」
 かかりつけの内科医は、パソコンのキーボードを打つ手を止めて、つぶやいた。
「はい」
「それは、あの、僕が知らないだけで、有名な存在なのかな」
「いいえ、私が若い頃から石そ粘土で作り続けてきた、リンゴの妖怪というか、妖精というか、30cmくらいの身長の、私が生み出したキャラクターです」
「ううん、それが非業の死を遂げた後から、あなただけに、その、リンゴ族の足だけが見えるようになったと」
「はい」
 病院は空いていた。
 待合室には、私の前にひとりの老女が居ただけで、彼女も「いつもの薬」を処方されるとすぐに帰ってしまった後だった。受付に座っている、50代と思しきショートカットの女性だけが、マスクをしていても溢れんばかりの笑顔をしていて、テレビボードの上に据えられた大きな水槽の小魚でさえ、ひっそりと、慎ましやかに泳いでいた。
その待合室から短い廊下を渡った先に、白い引き戸の診察室はあった。
 かかりつけ医は、私と同世代くらいの端正な顔立ちをした薄暗い男で、長い白衣をかっちり着込み、デスクの横に、水草を育てる小さなガラス鉢を置いていた。
「更年期でしょうか」
 私が問うと、
「ううん、これは僕の専門分野ではないのかもしれない」
 かかりつけ医は両頬を手のひらで擦って言った。
 それでも、
「夜は眠れる?」
「はい」
「食事は」
「美味しいです。まあ、自分が作っておいて美味しいもなにもないですけど」
「フジリンゴ族を、あなたのお義母さんが、孫の中学受験に邪魔だからと庭で燃やしてしまってからも?」
「ショックでしたし、夫にかなり八つ当たりはしましたけど、睡眠も食事も、ちゃんと摂れています」
「うーん」
 再び、かかりつけ医が頬を擦って、
「紹介状を書きましょうか」
「紹介状?」
「今、あなたが行かれるべきは、内科ではなく、心療内科が妥当だと思われますね」
「心療内科…」
「一度、専門医に診て貰った方が、あなたのために良いかもしれません」

 病院を出ると、一斉に蝉が鳴き出した。
 何度か病院のガラス製の壁に自転車のタイヤをぶつけてしまっては、奥の笑顔の受付さんにペコペコ頭を下げて、四苦八苦しながら自転車を通りに出した。
 病院前の歩道に停めた自転車が、出てみると、ピッタリ病院のガラス壁に沿って停められていたのだ。ようやく自転車に跨ったところで、揃いの燻んだ薄緑色の制服を着た違法駐輪監視員が、バッテリーを搭載していない黒い自転車で、目の前を通過していった。振り返ると、誰も患者の居ない待合室から、笑顔の受付さんが、さらに笑顔で手を振っていた。
 百日紅が揺れていた。
 パートも休みだし、娘たちは学校で、家事も終えた。
 私は神社の拝殿にぬかづきいた。賽銭箱に放り込んだ100円玉は、そこそこ重たい音がした。履き清められた境内は、背の高い楠が生い茂って、とても涼しい。

 自宅のリビングに置いた紹介状を、繁々と眺めた。
 他に、〇〇心療内科への地図と、電話番号が書かれた付箋。
 東向きの窓からは、柔らかい光だけが運ばれている。
 次女の中学受験が近づき、いよいよ受験も追い込みに入る時期。
 でも、我が家の中学受験はのんびりしたものだった。
 娘たちは、そのまま高校まで上がれる学校に通っていて、長女はそのまま付属の中学に内部進学をした。日々、思春期女子特有のいざこざはあっても、比較的満足げに通学している。だが次女は、四年生の林間学校も欠席して、時折、学校を休むこともある、
六年生の修学旅行は、好きなアニメの聖地にも程近い場所で、嬉々として出かけていったが、その後しばらく学校を休んだ。
 学校の音が苦手、と次女が言った。
 懐かしい気持ちになった。私も、学校の音が苦手だった。最も私が茨城県の公立小学校に通っていた頃は、音が苦手などという理由で休めば竹刀を持ったジャージ姿の男性教師がスッ飛んできて、根性を叩き直すと、バカみたいに広い校庭を何周も走らされたものだったけれど。
 義母が勧めた三姉妹の小学校受験で、今は、夫の収入、義両親の援助、私のパート代を総動員して生活している。
「田舎のあなたは知らないでしょうけれど、普通はね、男の子のお母様というものは、できれば幼稚園から、私立の一貫校を、ちゃんと自宅から通って卒業したお嬢さんを、息子の嫁にしたいと願うものなのよ」
 私の両親は高卒で、私は中学まで田舎の公立学校で、高校からは事情があって文京区にあるルーズソックスにミニスカートの元気な女子たちが集う学校に進学した後、神奈川県にある、屋上から海の見える大学を卒業している。
 そんなの、結婚前に、すでに義母は知っていた。
 友人の娘と自分の息子を結婚させたがっていた義母は、日焼けした肌に、紺色のニサマーワンピース姿で結婚の挨拶に現れた私を、どんなに苦々しく思ったことだろう。
 受験に際し、義母は雨霰と意見を言った。それに従わせようとして、勝手に家庭教師を呼びつけたりもした。実際に願書を出す段になって、夫と私が郊外の、のんびりとした校風の、無名に近い小学校だけを受験すると知った時、義母は発狂したように怒鳴り散らして、義父、義兄はろか、飼い犬まで尻尾を巻いて脱げたらしい。
 長女の入学式は欠席すると言い出し(元々祖父母に参列資格はなかったが)、
「お友達のお孫さんたちが合格したような学校は、うちは、お母様が卒業生じゃないものね。仕方なかったわね。私も、できる限り先生方へご挨拶に出向いて頑張ったけれど、仕方ないわ。お母様の学歴が邪魔をするから」
 そして私は、この時、軽度のパニック障害を患った。
 贅沢な、恵まれた環境だ、それなのになぜ、と言う人がいたのも事実だ。
 子供三人を私立小学校に通わせ、都内のマンションに暮らしている。
 でも、毒親育ちの私は、長らく「親の意見」に逆らうことができずにいた。
 意を決して実の両親と縁を切ってからは、影の薄い義父はともかく、義母が私の親だった。
 実の両親には、殴られ、蹴られ、ここには書けないような酷い仕打ちをたくさん受けた。児童相談所や保健室の先生が意見を言い始めたところで、親は、私を都内の女子校に放り出した。チョベリバ、チョバチョブ、チョベリガンブロン。
 私は初めて、楽しい学校生活を満喫した。
 義母には殴られても、蹴られてもいない。
 だが、今の私は、義母にたいして、やはり服従していたのだ。

 次女が、外部受験をしたいと言った時、私は二つ返事で了承した。
 希望進学先は、次女のやりたいことを思う存分に叶えうる学校で、難易度も易しい。今のまま淡々と頑張れば、おそらく合格できるだろう。
 学校見学に行った次女は頬を好調させ、生徒たちに質問をし、部活体験や授業体験をして「絶対にここに来たい!」と断言した。
 それが義母の逆鱗に触れた。
 その夜、近所に住む義母がマンションに押しかけて、
「一度くらい、私だってお友達に、孫の学校の自慢をしたいのよ!もっともっともっと偏差値の高い学校を受験させなさい!そうでないなら内部進学をさせなさい!今、外に出てしまったらお嬢様のレッテルが剥がれてしまうのよ!母親の教育が悪いんだわ!だから教養のない女を嫁になんてしたくなかったのよ!孫は医者か弁護士にさせたいの!なのにあなたときたら…母親失格!妻失格!女失格!夫婦失格よ!」
 なんとか夫が義母を宥めすかして帰宅させると。リビングに並べられていたフジリンゴ族たちの像が忽然と消えていた。

 フジリンゴ族は、二十歳の頃、私が生み出したキャラクターだ。
 銀色のラバータイツに全身を包み、胸には蛍光イエローのRの文字。頭は巨大なリンゴで、その真ん中に、困ったような表情の顔がある。汗をかいていたり、筋トレが好きだったり、梨族を徹底的に敵視していたりする。類似した生き物にはフジリンゴ人間がいるが、こちらは基本的に無表情で、人間を忌み嫌いながら、社会の片隅に独特のコミュニティを有している。頭にこれも巨大な蓮の花を咲かせたフジリンゴ仏の手のひらから生まれ、私はそれを、何十年もかけて一体ずつ再現してきた。
 フジリンゴ族の友人に、狐の着ぐるみを被って暮らすキツネさんという女性がいる。私はlこのキツネさんを、狐の着ぐるみこそ被っていないが、私自身だと思い、これまで生きてきた。
 私はキツネさんであり、フジリンゴ族はキツネさんの胸のうちにある存在であり、私とキツネさんとフジリンゴ族は、切っても切れない。それぞれ自身だったのだ。

 義母宅の広い庭の一角で、焚き火が行われたのは夜更けのことだった。
そこでフジリンゴ族たちは「嫁がこんなくだらないオモチャを作っていては、孫の教育に差し障るから」と、次々と火に放り込まれた。
 私がそのことを知ったのは、夜が明けてからだった。
 フジリンゴ族たちはすでに灰となって土中に埋められた後だった。
「これであなたも、まともな母親になれるでしょう」
 勝ち誇ったように義母が言った。

 そして私の心は壊れた。






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