慟哭

僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。

#12  //////////

自分への期待、周りの期待、そんなものを自分で背負っていると思って進んでいた2年半前
「公民連携プロフェッショナルスクール」の応募のための論文をどう書こうか毎日悩んでいた。
来年に向けて、業務の方もなんとか形になってきた。
そんな3月10日

その日の昼休み終わり、少し前に所属の上司から呼び出しがあった。

「昼過ぎてから、一緒に役員室に行って欲しい。君にとってとても良い話がある。」

そう言われた。
何のことかよく分からなかった。僕にとって良い話・・・。
いろいろ考えた。いい歳になって来たしそろそろ昇進の可能性もある。その話か?ただ、周りの同僚の状況からそれはまだ早いように思われた。じゃあ何だろう・・・・?その10日前に僕はある情報を聞いていた。会社の別業務を拡充するため、大阪の団体へ2年間職員を派遣をするという話だった。別業務なので自分とは関係ないと思っていた。

まさか・・・・・。
僕じゃ無いだろうな・・・・・。
僕は今の部署で期待されているんだから・・・・・。
激しい動悸、言いようもない不安、考えがまとまらないまま昼休みが過ぎた。

上司と一緒に役員室に入った。そして、役員を目の前にして会社の偉い人から話があった。
「すでに知っていると思うが、大阪の団体への派遣、君に行ってもらおうと思っている」

終わった、、、、、、、
完璧に終わった。やっぱりそうだ。
なんで俺やねん。関係ないやん。
でも無理!サラリーマンやから無理!
これは命令であって僕は断れない。


僕はそう思った。
そして、その後は他人の事のように聞いていた。
いろいろ言われたと思う。向こうでの待遇。今回のケースは初めてでこれからの期待度など。たぶん、僕に期待してくれているんだと思う。会社を背負って立つ人材なんだと不遜ながらおもった。
そして、僕は笑顔でうなずいた。「いやです」と言って変わる話でも無い。なら笑顔で話そう。そう思い、その場を取り繕った。
サラリーマンの宿命。上からの指示に対しては従わないといけない。20年以上組織で生きてきた人間に歯向かう力はない。
組織に属している以上は仕方が無いことだと割り切ろうとし、冷静になろうとしたがすべてが上の空。そして、ふわふわした中で役員室を出た。

内々示のため、だれにも言えないまま昼からの業務をこなした。心はここに無く、何をしたか覚えていない。声を掛けられても覇気はない。誰にも相談できず。普通を装おうと一生懸命取り繕っていた。

その日は、夜に会社を退職する方々の送別会があった。お酒を飲みながら楽しく談笑する人たち。自分で自分を割り切ろうと必死に心を落ち着けようとし、作り笑顔で対応する。お酒を飲んでも酔わない。この場所に居たくなかった。会社に関する事を自分から離したかったが、夜まで会社と僕の完成性は続いた。そして宴会が終わり岐路についた。

僕が臨んだ未来は3月10日に僕に関係のないところで僕の気持ちを踏み躙られたまま終わりを告げた。

そして、その夜。僕は布団の中で号泣した。

(つづく)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?