I LOVE SAXOPHONE

I LOVE SAXOPHONE

新型コロナウイルスの感染者が増え始めた3月の終わり頃、東京に住んでいる友人から電話がかかってきた。
他愛もない話を思いのまま喋り「勤めている会社の業務がリモートワークになった」とだけ言って友人は電話を切った。

その友人は、僕が音楽教室の経営を始めると同時にミュージシャンとして演奏活動をし始めたが仕事が軌道に乗ることなく上手くいかなかった頃、お客様として時々来店するようになった。

音楽教室の受付カウンター席に座り暇そうにしている僕に「待っていてもどうせ誰も来ないから、店を閉めて遊びに行こう」と言って断りもなく僕の車に乗り込み、延々と喋り続け、運転する僕をよそに突然眠り、たどり着いた海辺で夢中になって石を拾った。満足すると立ち上がって「もう石を拾ったから早く帰ろう」と言うヤツだった。

またある時は「珈琲を飲んだほうがいい」と僕に運転させ、山奥にある不思議な喫茶店を見つけて珈琲を一杯だけ飲み終えると気が済んだらしく「早く帰りたいんだけど」と言うとそそくさと店を出た。
帰り道、運転する僕の隣で喫茶店の店員の物真似をしながら「よく特徴を捉えているんだからちゃんと見たらいいのに」と運転中の僕に物真似を強引にアピールした。一頻り物真似の発表をすると飽きたらしく直ぐに眠り始めた。

またある時は、突然呼び出されたかと思うと「釣り日和だ」と言い、ゴムボートで釣りをした事もあった。友人は餌がつけられないので釣竿を握っているだけだった。釣った魚を針から取り外すのももちろん僕だった。

滅茶苦茶で呑気なヤツだったが、当時ジリ貧過ぎてライフラインが頻繁にストップしていた僕が「ライブ用の衣装がないんだがどうしよう」と相談すると「家にあった」と言って着物を持って来た。
会場の一番後ろに居てよく見えてなかったくせに「目立ってて良かったよ」と言っていた。
僕のサックス演奏を簡潔に褒めてくれた後「着物でジャズを演奏するのはなかなか良い」とかいった話を延々と喋っていた。

現在友人は結婚して東京で大人しく2人の子どもとペットの犬を育てながらフリーランスのデザイナーとして働いている。想像のつかなかった豹変ぶりだ。
友人のお陰だけではなく多くの仲間の手助けもあり、僕もそれなりに音楽教室とミュージシャンの活動で食べていけるようになった。

今でも友人は時々連絡してきてはどうでもいい話をして満足したら電話を切る。恐らく友人は何かを発見したり気付いたことがある時に話をしたいんだろう。
お気に入りの物ができると夢中になって喋り、気が済むと一方的に電話を切る。

最近は「鬼滅の刃」を勧めてくるので「君が夢中に話せば話すほど、その口調やエキサイトぶりが面白くて内容のほうは全く頭に入ってこない」と言うと頗る怒っていた。とはいえ毎度毎度「鬼滅の刃」の話を聞いていたら気になり始めたので見てみたら案外良い話だと思った。

長々と話したが、多分友人は不安なんだろう。
三月の終わりから時々「東京都は非常事態宣言が出るかもしれない…」と口にすることがあった。
僕は「そんなことも起こるかもなぁ」とだけ言った。

僕は僕で演奏活動が出来ず、頭を悩ませていた。

そして2020年4月7日、安倍総理大臣がついに緊急事態宣言を発令した。

直後、呑気な友人から練習があり「サックス愛を表現する内容の弾けたムービーを作ってみたら?」と、また適当な思い付きの提案をしてきた。
かつて海で拾った石は何の役に立つことも無かったし、喫茶店の店員さんの物真似については覚えてもいないし、勿論何の役にも立たなかった。
ただ、ムービー作りの提案については僕も少し興味が湧いたし面白そうなので笑っていた。

僕はミュージシャンなんだ。
音楽で誰かに幸せな気持ちになってもらうのが僕の仕事。
音楽で誰かを笑顔にしたい。
自分の心の声に耳を傾けてみて、僕はライブのできないこの状況に酷く落ち込み、腐っていたことに気付いた。

僕は欲張りだ。
友人だけじゃなくて、世界中のみんなに笑顔になって欲しい。
たとえそれが一時的であっても嫌な事を忘れていられる時間をプレゼントしたい。
そんな思いで殆ど英語の話せない僕は少ない英単語を紙に書いて大まかな台本を作成し、動画をYouTubeにアップした。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL-ShCh7-NQBDmZ-e6McGDDqfZ9p0shed1

僕にとって一番大切なサックスと同じように、誰かにとってはお子さんだったりペットだったり愛する人だったり鬼滅の刃だったり、人それぞれにとっても大切なものがあるだろう。
それらを大切にしながら、家で過ごそう。

あなたが愛していることを思い出して欲しい。
僕が一度は忘れかけてしまった、親切に、優しく、大切なものを見失わないように。
そんな気持ちを込めて作った。

一日一日を大切に。
そして、いつかライブ会場へ遊びにきて一緒に楽しんで欲しい。
とびきりの音楽を準備して君が来るのを待ってるよ。

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