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初めてひとりで水族館に行った日の話

あれは大学3年の夏休み。とある暑い日の昼下がりのこと。

僕は卒論の資料請求のために大学の図書館に行った。

そして、入館ゲートで学生証を提示しようとした時のこと。

手帳型スマホケースの学生証が入っているはずのポケットに、なぜか西武ライオンズのファンクラブカードが入っていた。

そして財布にも服のポケットを見ても、結局学生証は見つからなかった。

ショックだった。かなりショックだった。片道1時間以上かけて来たのに。

このままじゃ今日という日が「残念な1日」で終わってしまう。それだけは避けたい。

そうだ、何か、何か癒しがあれば。癒しがあればきっと救われる。

そう思った僕の頭の中に革新的なアイデアが降りて来た。

「水族館行こう」

一番近い水族館をスマホで調べると「アクアパーク品川」がヒットした。

夏休み真っ只中だし「学校には誰も友達はいないだろう」と思った僕は、そのままひとりで水族館へと向かった。

そもそも友達を見つられたとしても、いきなり「水族館行こう」と誘えたかという話だけど。

「お一人様ですか?」

「はい」

入館ゲートのお姉さんにチケットを渡す。図書館は残念だったけれど、今度は入ることができた。

中は多くの家族やカップルで賑わっていた。

これだけ人がいれば「誰かしらひとりで来ているだろう」と仲間探しをしたけど、残念ながらその日は一人も見つけられなかった。一人だけひとりだった。

僕はゆっくりと館内を周った。

どの水槽も光の演出が凝っていて、気がついたら一つの水槽に何分も没頭することもあった。

名前があるのかも怪しいような小さな青白い魚たちが、表情一つ変えずに同じコースを延々とぐるぐる泳ぎ続けているのを見て「本当に泳いでるだけだ」と訳のわからないことを思った。「囚われている」と少し哀れに感じたけど、「何も悩み事ないんだろうな」と少し羨ましくも感じた。

一周し終わった後にイルカショーの会場に向かった。ちょうど直前のショーが終わったばかりで次までは時間があった。

僕はリュックから読みかけのオルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』を読んで時間を潰すことにした。

孤独な世界を生きる主人公のバーナードに、ひとりで水族館に来ている自分を重ね合わせていたけど、バーナードは「一緒にしないでくれ」って絶対に言うだろうなと思った。

そうこうしているうちにイルカショーが始まる。イルカの華麗なジャンプが光と水の演出で綺麗に引き立てられていて、終始魅了されていた。

とても感動したのでそのまま次のショーも見ることにした。ちょうど、次のショーからはナイトショーに切り替わるということで好都合だった。

かなり席も埋まって来ていたが、自分の右の3席が空いていた。そこに自分より少し年上くらいのカップルが来て、どう座ろうかと少し話し合ってから僕とは1席空けて座った。「この後、この男の隣に相手が来るだろう」と配慮してくれたのかもしれない。

昼の部よりも一層華やかなショーが終わった後に、そのカップルに少し怪訝な目で見られた気がするが、きっと気のせい。

ショーの後に水族館をもう一周。余すことなくアクアパークを堪能し、退館した。外はすっかり暗くなっていた。

そして当の僕は、感動的な映画を見た後のような余韻に浸っていた。

「『素晴らしい新世界』を見つけたな。またひとりで来よう」

そう思った僕は定期的に水族館にひとりで通うソロアクアリウマー、またの名を「ソロリウマー」としての道を歩み始めたのであった。

fin.



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