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さん付け呼びの是非(2)

以前の投稿で、「さん付け呼びの是非」というタイトルで、ある企業様の事例を取り上げました。社内で役職者に対して役職名呼びするのをやめ、さん付け呼びすることをルール化したというお話でした。
https://note.com/fujimotomasao/n/n529592165d5b
先日、同社様から関連する追加情報をいただきましたので、このテーマを再度取り上げてみます。

同社様では、「本田宗一郎氏は、仕事の前ではみんな平等、と言った。自社もそうでありたい。仕事の前でみんな平等であろうと思ったら、肩書で呼び合うのは邪魔になる。」という考え方のもと、社長の方針で「さん付け呼び」に変えることをルールとしました。

その後の状況について、ある管理職の方から下記のような声を聞きました。

「社長の想いや考えは、なかなか社内に浸透していない。何かの節目で社長の話を聞ける機会はあるが、常にそういう機会があるわけでもない。よって、上位職から降りてくる情報をもとに会社の方針を理解し実践することとなるが、それが機能していないと感じる。

例えば、さん付けについても浸透していない。ある管理職は、部下からメールで「さん付け」されたことに対し「口頭以外に、メールの宛名でさん付けするのは違うだろう」と電話をかけてきたとのこと。さん付けに対する管理職の理解がバラバラなため、メンバーは相手の管理職によって臨機応変に対応することになる(社長のお考えはメールの宛名もさん付けである。しかし管理職に向かって、あなたの言っていることは社長の考えと違いますと、意見することはできないし、それを裏付ける内容も「自分は口頭で聞いたことがある」としか言えない)。社長の重要なお考えは、明確にルール化し書面にして展開してほしい。

また、「後輩に対してもさん付けするべきではないか?」という意見が挙がっている。これは、自分は想像もしてなかったことなので、ハッとさせられた。確かに、役職の壁を取り除くのが目的なら、上司に対してだけでなく部下に対してもさん付けにすべきかもしれない。」

何やら、一筋縄ではいかない様子です。
この出来事から学べることとして、大きく3つあるのではないかと思います。

ひとつは、「トップの語りかけ」が不足しているということです。
同社様の社長を私も存じていますが、とても聡明で相当に頭のキレがよい方です。ゆえに、相手との間でコミュニケーションギャップが起こりやすいということも指摘できます。「自分としては論理的に十分説明した」つもりであっても、相手がそれを理解してくれるとは限らないということが、上記の内容からも明白です。ましてや、組織風土を変えるような取り組みは、その意味が浸透し行動変容をもたらすまで時間がかかります。上記からも、社長の語りかけの頻度が不足しているのが伺えます。「10言って1伝わる」ぐらいのつもりで、言い続けることが必要でしょう。

次に、人によっては風土が変わることに大きな抵抗を伴うというのを認識すべきだということです。環境変化に柔軟な方にとっては、さん付けの宛名でメールが来ることぐらい、何の抵抗もなく受け入れられると思います。しかし、環境変化への適応に時間がかかる人で、長く役職名で呼ばれることに慣れている人にとっては、それが普通ではないということを認識しておく必要があるでしょう。

3つ目は、目的の明確化と手段との一致を追求すべきだということです。おそらく、同社様としては、「管理職に向かって、あなたの言っていることは社長の考えと違いますと、意見することもできる」ような風土に変えたいのでしょう。であれば、部下に対しても(「~君」や名字の呼び捨てなどの呼び方をするより)さん付け呼称とした方がよいかもしれません。さん付け呼称の浸透によりどんな状態づくりを目指したいのか=目的の明確化と、現状で採用しているルール(役職者に対してのみさん付け呼称にする)が手段として合っているか、今一度考えてみてもよさそうです。

たかだか呼称ひとつの小さなことで、上記は大げさかもしれません。しかし、実際に管理職者からこういう声が出るということは、それなりの重要度があるということだと思います。また、こうした小さな変革すらできない組織は、大胆な事業再編などの大改革は到底無理でしょう。変化への耐性を磨くという意味で、同社様にとってよいトピックだと思います。

<まとめ>
小さな変革すら、人によっては大きな抵抗を伴う。

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