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二宮翁夜話から考える「天道」と「人道」

二宮翁夜話(福住正兄原著、佐々井典比古訳注)という本を読んでいます。渋沢栄一氏、豊田佐吉氏、松下幸之助氏、土光敏夫氏、稲盛和夫氏など、大事業家たちに多大な影響を与えてきた二宮尊徳氏の説いた訓え(おしえ)を凝縮し、その気風を維持しながら言葉を現代語訳させた書です。改めて、二宮尊徳氏が説いた生き方がたいへん示唆的であること、人間社会にとって時代を超えた普遍的な本質であること、その影響の大きさを感じさせます。

同書では次のように書かれています。(一部抜粋)

第二篇 天道と人道 46 天道の中に人道を立てる
寒さがゆけば暑さがくるし、暑さがゆけば寒さがくる。夜があければ昼になり、昼になったかと思えば夜になる。また万物も、生ずれば滅し、滅すれば生ずる。野菜でも魚類でも、世の中で減るほどは田畑や川や海や山林で生育する。掘った堀は日々夜々に埋まり、ふいた屋根は日々夜々に腐る。これがすなわち天理の常なのだ。

ところが人道は、これとは違う。なぜかといえば、風雨の定めがない、寒暑の往来するこの世界に、羽や毛もなくうろこや甲らもなしに、はだかで生れ出たのだから、家がなければ雨露がしのがれず、衣服がなければ寒暑がしのがれない。そこで人道というものを立てて、米を善としてはぐさ(イネ科の植物の一種)を悪とし、家を造るのを善として破るのを悪とした。みんな人のために立てた道だから、それで人道というのだ。

天道から見るときは善悪はない。その証拠には、天道に任せておけば田畑もみんな荒れ地となって、開びゃくの昔に帰ってしまう。なぜなら、それがすなわち天理自然の道だからだ。

天には善悪がない。それゆえ稲もはぐさも差別せずに、種のあるものはみんな成育させ、生気のあるものはみんな発生させる。人道はその天理にしたがいながらも、その内でそれぞれ区別をして、ひえやはぐさを悪として米麦を善とするように、すべて人のみに便利なものを善として、不便なものを悪とする。

ここまで来ると、天理とは違ってくる。なぜなら人道は人の立てるものだからだ。まつりごとを立てたり、教を立てたり、刑罰法制を定めたり、礼法を設けたり、やかましくうるさく世話をやいて、ようやく人道は立つのだ。それなのに、これを天理自然の道と思うのは大きな間違いだ。

以前の投稿「「大学」が伝える「正しさ」とは」では、天のルールと人のルールについて取り上げました。以下、再掲です。

天には天のルールがあり「天道」と呼ばれ、地には地のルールがあって「理」と呼ばれる。これを合わせたのが天道地理、すなわち「道理」というわけです。

そして、人には人のルールがあって「義」と呼ばれる。道理を人間の立場で言うのが「道義」だというわけです。人間の「義」は個々の「利」を超えたもの、つまりは相対の世界を超えたもので、相手によって変わらない絶対なるもので、三千年の昔も今も変わらないものです。

上記の説明では、天のルールと人のルールの明確な区分にまでは踏み込んでいませんが、二宮翁夜話では、「天のルールと人のルールは明確に違っている。その違いを踏まえた上で、天のルールに沿いながらも、人のルールに従わなければならない」と説いています。

天道に任せておけばすべてうまくいく植物や他の動物と違って、人間は天道に任せておくだけではうまくいかないということです。このことは、いろいろな欲や意思を持った人間という生き物の特徴を、改めて認識させてくれる示唆だと感じます。

「己(私欲)に克つのが人道」「人の立場で作為するのが人道」とも表現されています。成り行きに任せておくだけではだめだということなのでしょう。

「天のルールに沿いながらも、人のルールに従う」ことについて、「人道とは水車の中庸(47)」とも説明しています。水車のごとく半分は水流に従い、半分は水流に逆らってぐるぐる回る。丸ごと水中に入れば回らないし、水から完全に離れてしまっても回らない。ほどよく水中に入って半分は水という天道に従って種まきし、半分は天道に逆らって草をとり除く。欲に従いながらも欲を制して義務に努める、というわけです。

私欲のおもむくままに、自由意思にもとづいて、自分のやりたいと感じたようにやる。これは、天道に沿った行動だと捉えることができます。それも必要ながら、人道に沿った行動、つまりは欲を自制し、社会や組織のルールに従って、やりたくないと思うことでもルールとされていることに従うのもまた必要というわけです。

自然にわいてくる自分の願望を完全に封印する自己犠牲だと物事はもたないが、人の営みが決めた倫理やルールを守らないものもやはりもたない、と解釈することもできます。このように考えると、社会や組織が礼節だとみなしている決め事に沿って行動するべきだということが、改めて分かってきます。

また、天道と違って、人道はきちんと教えられる機会がなければ、その意味と意識が理解できないものだと言えます。この視点から子供に対する教育では、決め事を守ることの大切さをきちんと取り入れるべきだということを改めて感じます。企業組織の場合は、自社に関わる人材に対して自社なりに人道を伝える方法が、自社の理念や行動指針だと捉えれば、その重要性も改めて認識できると思います。

動物がもっている本能や自然の摂理である天道と、人間社会が大切にすべきとしている教え、刑罰法制、礼法などの人道とが、水車のようにかみ合って回っているか。自分自身の日々の行動を振り返るうえで、イメージするとよいのではないかと思います。

<まとめ>
天道と人道は違う。そして、天道の中に人道を立てることが必要。

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