無報酬の見えないシャドーワークを考える
2月3日の日経新聞で、フィナンシャルタイムズの記事「「影の仕事」で生産性低下も」が紹介されました。米国を例に、労働者の生産性が低下している要因のひとつを「シャドーワーク(影の仕事)」に求めた内容ですが、この視点と結果は、日本を含めた米国以外のエリアにも当てはまると思います。
同記事の一部を抜粋してみます。
同記事の問題提起・論点を、3点まとめてみます。ひとつは、自動化等によって自身に発生している時間コストを認識するべきだということです。
自動化で恩恵を受けていると思っていても、実は相応のシャドーワークを引き受けてしまっているかもしれません。先日旅行社に行って家族旅行の手配をしてきました。私は普段、オンラインにて自分で旅行の手配をしているので、旅行代理店の店舗に行ったのは久しぶりでした。その時の感想は、「自分でやるより店舗に行ったほうが、結果的に時間もかからずはるかによい」でした。
行程ややりたいことがすべて決まっていて、手続きだけするのであれば、わざわざ店舗に行くよりオンラインによる自力で済ませたほうがよいかもしれません。しかし、今回のように、行き先をどこにするか、今回のイメージに近い行程はどれかなど、情報を聞いたり比較したりすることから始める状況であれば、専門業者に聞きながら、専門業者が使いこなしているツールでその場で調べてもらうほうが、はるかに効率的です。
改めて、店舗利用の価値を感じた次第です。これを、普段はああでもない、こうでもないと、自分で調べて手続きしようとしていたために、多くのシャドーワークを引き受けていたのだと思います。
2つ目は、何かにかかる時間が短縮できたとして、その代わりに失っているものがないかを想定すべきだということです。同記事には、次の内容の紹介もありました。
偶発的な会話や体験が創造性につながることは、よく知られているところです。コミュニケーションを遮断して、自分のやりたい作業に集中することは有益ですが、それによって失うものがある可能性を上記は示唆しています。
テレワークが普及した後で、偶発的な雑談がなくなったことの弊害への反省から、あえて雑談を行うためのチャットルームや雑談タイムを設定している会社もあります。それらも意味のある試みですが、場合によっては、関係者全員が出社したほうが結局得るものが大きくなるかもしれません。
3つ目は、2つ目までの要素を合わせた結果でもありますが、全体最適で考える視点の大切さです。
自動化によって職を失う人もいることに加え、本来その作業をする必要がなかった人に、作業の一部の負担がしわ寄せされるという同記事中の事象は、その自動化が全体最適になっていると言えるのかを問いかけています。
職場においても、「ひとつのアウトプットを形にしたが、それを生み出すための労力や負の効果も勘案すると、トータルでは活動としてデメリットのほうが大きい」ということはよくあります。
身の周りのシャドーワークのコストについて、もっと感度を高めてもよいのかもしれません。
<まとめ>
気が付かないうちに、メリットを上回るシャドーワークに取りつかれていないか。
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