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新規事業の継続判断

先日、ある企業の役員の方から、20年がかりで開発してきた結果が形となった新製品が、最近売れ始めたと聞きました。20年も開発を続けるというお話が新鮮でした。

経営においては、新規事業の撤退基準を決めておくことは重要だと言われます。撤退基準がないと、当該事業が成功か失敗かわからないまま延々と続けてしまい、取り返しのつかない膨大な費用を失うことになり得るからです。経営では、経営資源の最適配分が重要となります。資源は、成果が見込めない事業にではなく、成果が見込める事業に配分し直すべきです。

私たちは、既にかかってしまった「埋没費用」が取り返せなくなることを「もったいない」と思う心理が働きます。ギャンブルや投資で負けが込んでしまうと、一発逆転を狙って大勝負に出たくなるのもその表れです。それは危険であり、利益を上げる投資家は過去を割り切り冷静に損切りをすることからも、新規事業における撤退基準は同様に重要だとイメージできます。

他方、どのように撤退基準を定めるべきかに、正解というものも存在しないでしょう。どんな撤退基準にするのかの考え方自体が経営戦略であり、会社の価値観、経営者・経営陣の個性が現れるとも言えます。例えば、次のような切り口で基準設定方法の類型を整理してみたいと思います。

1.利益目標の達成度
3年間や5年間といった見極め期間を決めて、「3年以内に黒字化」「5年目に利益率〇%以上」など達成できなければ撤退、とする基準を設定する方法です。当該事業に特化した損益計算書を作成し、「この投資額に見合うリスクはこれこれ、よって投資回収率は〇%はほしいよね」などのロジックを組み、それを満たしていなければ撤退するというイメージです。企業によっては、細かいシミュレーションや収益予測表を作成するところもあるでしょう。

2.KPI(重要業績評価指標、重要達成度指標)の達成度
最終的に利益を生み出すことにつながる成果指標(利益の先行指標)を定義し、それを達成できなければ撤退するという基準を設定する方法です。例えば、「市場投入後6か月間での利用者数」「問い合わせ件数」などのイメージです。

企業は利益を出さなければ存続できません。動きの速いベンチャー企業は、明確な撤退基準を設けてそれを徹底し、成果を上げていることが多いものです。主観を挟まず、埋没費用を損切りできるドライな判断が、生き残りのカギだとも言えます。

しかし、冒頭の企業様は、上記とは異なる基準の持ち主だと言えそうです。同社様は、優れた技術開発力を武器に新製品を生み出していき、高収益体質で事業拡張しながら、設立から半世紀以上も経つ長寿企業です。そのような開発力や長寿の秘訣は何かと尋ねられた際、同企業の経営者様は「開発をやめないことだ」と答えたそうです。お聞きする限りでは、特に利益やKPIの基準は見当たりません。

この考え方は、上記1.2.には反するものでしょう。1.2.のような基準では許されないであろう開発コストを垂れ流し続け、その結果新製品が実を結んだということです。

撤退基準になり得るその他の要素にとして、社内外を取り巻く環境が考えられます。つまりは、撤退を考える局面で社内外の状況を見定めて、「このまま進むべき」「撤退すべき」を判断するということです。達成基準を満たしてなければドライに撤退を決める上記1.2.よりも、柔軟な基準だと言えます。

3.外部環境に対する総合評価
「今現在どれぐらい儲かっているか、顧客に利用されているか」といった視点ではなく、「将来どれぐらい儲かりそうか、利用されそうか」という想定から判断するイメージです。

外部環境には、様々な要素があります。顧客、競合の動向はその代表格ですが、それ以外にも市場の成長性、景気全体の動向、規制・法制度の動向、テクノロジーの動向、代替品の脅威などが挙げられます。

例えば、「まだシェアはわずかだが、競合より伸びている」「利用者の満足度が自社は突出して高い」「今後急激な市場規模の拡大が想定される」などの要因により、「今は利益を生み出していないが継続と判断する」ことは、経営戦略としてあり得ます。最近では、「SNSによるポジティブな反響の実感」なども、基準になり得るでしょう。

4.内部環境に対する総合評価
自社内部の現状を捉えて、事業を継続し成果を生み出せるかどうかを判断するイメージです。例えば、「自社の中長期ビジョンとの合致度合い」です。当時はゴーサインを出したものの、その後の環境変化を受けて刷新された中長期の経営ビジョンと合わなくなっていれば、儲かっていても撤退するという判断があり得ます。

「事業責任者の覚悟」「状況打開のための解決策の有無」なども、基準になり得るでしょう。これらが見いだせれば、現在困難な状況下に置かれた新規事業であっても、チャンスを継続しようという判断はあり得ます。

1.~4.のうちどれを自社の新規事業撤退基準として採用するか、さらにはどんな具体的基準項目を設定するかは、各社の経営方針次第です。そして、1.~4.の複数を組み合わせて自社の基準とすることもあるでしょう。1.~4.には、それぞれメリット・デメリットがあります。それらを理解したうえで、自社に合った基準をもつべきです。

成長の秘訣を「開発をやめないこと」とする同社様では、おそらく1.2.ではなく、3.4.のいずれかであろうことが想定されます。

3.4.の判断は、1.2.に比べて難しいものです。しかし、収益性基準を満たしていないことで「はいおしまい、次に行こう」とドライに切り捨てていくことが、必ずしも正しいとは限りません。自社の競争優位性の源泉が、機械的な予算表などに左右されない開発の追求だとするならば、それに見合った撤退基準に基づく判断を的確に行うことで、未来のチャンスを開拓することにつながります。

ただし、そうした判断ができるためには、組織全体における「財務の許容」「文化の許容」の大きく2つの要素が担保される必要があるでしょう。財務の許容とは、当該新規事業が最終的に失敗・精算したとしても、会社組織自体は既存事業で存続していけるための十分な安全性が保たれているということです。それなくして、都度社内外の環境要因のみで判断する余裕は持てません。

また、当該新規事業がうまくいかなかった場合でも許容される文化の担保も重要です。「うちの事業部がせっかく稼いでるのに、遊びながら冒険してるあの事業部が全部吸い込んでいく」のような内部対立が起こりがちです。そうした対立が起こらず、稼ぎ頭の部隊が新規事業部隊を心底応援できる状態は、簡単にはつくれません。相当な企業理念の浸透、企業文化の醸成が必要です。

同社様においても、やはりきちんとした財務の基盤と、経営者はじめ幹部社員が中心となっての開発を追求する文化の基盤とが行き渡っていました。大学教授ともよく交流してそのような文化であることを伝え、教授から話を聞いて就職を希望する学生もその文化を理解して応募する、という流れまでもできているようです。

自社の撤退基準は何か、それはどういう考え方に立っているのか、振り返ってみるとよいでしょう。もちろん、基準がなければつくる必要があります。

<まとめ>
・利益目標やKPIなどの明確な設定が、新規事業の撤退基準になり得る。
・社内外の環境分析結果が、新規事業の撤退基準になり得る。
・双方のメリット・デメリットを理解したうえで、自社なりの撤退基準を定義する。

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