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躁鬱人として生きていくための観察日記

双極性障害と診断を受けてから1ヶ月が経ちました。その診断は、自分の身に起きる得体の知れない症状に名前が付いてスッキリしたのと同時に、この先どうやって生きていけばいいのかという漠然とした恐怖が生まれました。またいつか上がって、そして落ちていく。分かっていても怖いものですね。ジェットコースターだって落ちると分かっていても怖いですもんね。

ですが、認知したことでできることがあります。それは「観察」です。小学生の頃に育てたアサガオのように、客観的に観察して、調べて、記録していくことでどこで何が起きているのかが分かり、恐怖心は和らぎます。分からないはいつの間にか恐怖を育てます。これは声が出なくなった時に身につけた方法かもしれません。私はアサガオ。ヒマワリでもいいですけど。これは私が双極性障害、いや、躁鬱人として生きていくための躁鬱人観察日記です。

この1ヶ月間で躁鬱人について調べまくった結果、苦しんでいる人たちがたくさんいると知りました。そして上手にコントロールできている人たちがいるのも知れました。それらの全ての情報は私にとって、とても希望になっています。なので私もできるだけ開示して、共に助け合えたらと思っています。私自身は躁鬱人として胸を張って生きられるようになって、また色んなプロジェクトができるようになりたいなとも思っています(躁状態なうではありませんよ笑)。


双極性障害のまとめ(※知っている人は読み飛ばしてください)

活動的になる「躁状態」と、気分が落ち込み何をしても楽しいと思えなくなる「鬱状態」が繰り返される脳の病気です。激しい躁状態を伴う場合を“双極I型障害”、生活に著しい支障がない程度の軽躁状態を伴う場合を“双極II型障害”と言います。かつて"躁鬱病"と呼称されていたために鬱病の一種と誤解されがちですが、この2つは異なる病気で、治療方も異なります。

病相としては4つあり、躁病相・軽躁病相・うつ病相・混合病相があり、これらを急速に繰り返す状態のことをラピッドサイクラー(急速交代型)と言います。どれにも当てはまらない寛解期もあります。

躁と鬱が現れる間隔は数ヶ月だったり数年だったり色々で、この繰り返しを治療せずに放置しているとだんだん再発の周期が短くなる急速交代型となり、薬も効きにくくなっていきます。躁状態はとても気分がよいので、本人には病気の自覚がありません。鬱状態で病院へ行くと鬱病と診断されてしまうため、抗うつ剤で躁転換して悪化させてしまう場合があります。他にも、最初の病相(鬱あるいは躁)から次の病相までは約5年の間隔があるなど診断が難しく、正しい診断に行き着くまでに平均4~10年ほどかかっていると言われています。


まずは受け入れることから

最初の病相(鬱)が発症してからは12年もの歳月が経っていて、私はこれまでずっと定期的に鬱になってしまう自分を責めて、躁で無敵になった状態が本来の自分であると信じて生きてきました。なのでそんなにすぐに躁鬱人であることを受け入れられるはずもなく、まだどこかで無敵な自分が本来の自分であると思いたい節があります。ですが、このまま受け入れないとどうなるかと言うと、躁で調子に乗ってどんどん上がって行き、やがて鬱で急降下して地面にクラッシュ!です。より高い所から落ちるのでとても痛いです。これは本当に耐え難いもので、一層のこと死んでしまった方が楽だってところまで行ってしまいます。

ここで重要なのが、コントロールすべきはとても痛そうな鬱の方ではなく、躁の方だということです。躁鬱人だと知らなかった頃は、本来の自分から下がって(鬱になって)しまったと思っていましたが、そうではなく、躁鬱人は上がる(躁になる)から下がって(鬱になって)しまうんです。なのでいかに”上げないか”がコントロールの肝になってくるわけです。これは躁鬱人だという自覚がなければできません。まずはこの事実を受け入れて、次にその上がり下がりを観察をしていきます。


波を観察する

勘違いされやすいのが、ストレスが原因だと思われることです。ストレスが発症のきっかけとなることはありますが直接の原因ではなく、脳内の情報伝達の乱れによって躁や鬱を繰り返すようになるのではないかと考えられているそうです。まだはっきりとメカニズムが解明されていないらしい。

そう、それは突然やってくるのです。チャイムも鳴らさず、ノックもせず、お邪魔しまーすって突然土足で入り込んできて、散らかし、そして帰って行く…。帰った後は、アイツは一体何者だったんだろう?まあいっか!ってすぐに忘れます。忘れるのも躁鬱人の特徴です。現に1週間前まで死にたくなるほど苦しかったのに、今ではその気持ちが忽然と姿を消してしまい、何事もなかったように過ごしています。いつもだったらアイツなんだったんで終わりですが、今回は観察日記を付けているので記録が残っています。

軽躁病相今回のお休みをいただくきっかけとなった鬱の前には、しっかりと躁になっていました。ワンマンとリリースの準備をしながら、半年後の新しいプロジェクトを考えつつ、主催イベントやフェスのことを進めながら、そのうち海外で個展をしたいと妄想していました。無敵☆そしてしっかりと鬱になりました。上がったので、下がったんですね。

うつ病相:下がってからは希死念慮に苛まれる日々です。今日をどうやって生き抜くかが最大のテーマになります。ここで忘れていたアイツのことも思い出します。恐らく私はラピッドサイクラーになっているので、「お前は誰だ!」と言うよりも、「お前はまた来たのか!」って感じで顔馴染みに近い。顔馴染みですが接客方法は未だに分からず、ただひたすらに帰ってくれるのを待つしかありません。

混合病相:気分は落ち込んでいるのにやたら体が動いてしまう混合状態もありました。常に焦燥感があって、衝動的に何かに突き動かされる感じがあります。心と体が分離しているような感覚です。きっとここで衝動的に何かをしてはいけないんでしょうね。今回の軽躁病相からうつ病相に入る時にあったパニック状態も、この混合状態だったかもしれません。

寛解期:鬱に入ってから約1ヶ月半後、嘘のように希死念慮が消えて、口数が急に増える日がやってきます。私たくさん喋ってるなあって自分で思いました(笑)鬱が明けて数日経っていたので、もしかしたら躁転換への兆しだったのかもしれません。現在少量の薬を服用しているので抑えられたのかもしれませんが、ちょっとしたことで躁か鬱に引っ張られるような感覚がありました。


転換するきっかけを探す

観察日記はまだ2ヶ月と短いですが、記憶が曖昧ながらも12年分のデータはあるので少し分かってきたことがあります。躁や鬱は勝手に始まってしまうのですが、そこへ完全に突入する際には何かしらきっかけがあるということです。これまでの私は、躁の波が来るのを無意識に待っていた節があります。マリオのスーパースター的なものが降ってくるのを、心のどこかで知っていたんです。降ってくるのを静かに待ち、来た瞬間に目標と計画を立てて一気に駆け抜ける。それを10年間の活動の中で無意識に会得し、最大限に活用していました。破綻しなかったのは、それが短期間のプロジェクトだったからです。少し先の未来の自分が想像できなくて、長期的なプロジェクトは立てられずにいました。この夢のような時間はいつか必ず終わってしまうと…。

なのでそのスーパースターオプションはやめなければなりません。いつもなら寛解期に入った私は、躁への突入を目指して(何かの戦隊みたい)準備を始めるのです。そして今か今かと待ちわび、スーパースターが降ってきた瞬間に、よっしゃ行くぜえええええええ!!!とマリオ顔負け並みに駆け抜けて行きます。まずこれをやめると。

鬱への突入はもちろん準備しているわけではないので難しいのですが、下がってきたなと感じたらなるべく刺激を減らすことです。小さな刺激もキャッチする状態になっているので、些細な出来事であっという間に落ちていってしまいます。それは嫌ではないことでもです。人と会ったり、街を歩いたり、映画を見たり、運動したり、SNSを見たり、感情が揺さぶられることをすると急降下していきました。なので鬱突入時は刺激物を避けて、できるだけ静かに過ごす。これが早めに寛解期を迎えるコツかなと。


今回の観察日記はここまで。次回はどうやって暮らしていくかなどの実践的なことを書けたらなと思います。



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