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本当にこのままSNSに依存し続けていいのかと考えてみた

SNSを自分の周りが使い始めたのは高校生の時だったと思う。友達がmixiやらモバスペやらを始めて自分もやってみたけれどそんなに呟くこともなく、長続きもしなかった。

呟きが習慣づいたのは音楽活動を始めてからだ。不特定多数の人達にアピールする絶好のプラットフォームを使わないわけにはいかない。誰が見ているか分からない場所で自分の気持ちを発言するなんていう習慣はまだなかったから当時はかなり抵抗感があったけれど、活動のために、活動のために、活動のためにと続けそれはいつしか楽しみに変わり、そこでの新しい繋がりもでき、時には予想以上のリアクションをもらえたりして、気がつけば約8年間休みなく発信し続けていた。


違和感を覚えたのは、夜寝つきが悪くてスマホを枕元から遠ざけた時だった。────スマホを触りたい。

僅かな時間さえも我慢できない自分がいた。暇さえあればスクロール、少しの待ち時間にスクロール、ご飯食べながらスクロール、忙しくても合間を見つけてスクロール、そしてなによりなんとなく落ちていくメンタルと共にスクロール…。生活の中心はもうスクロールで出来ていると言っても過言ではない。

人は比べる対象が少なければ少ないほど幸福感を得られるという。SNSは自ら比較対象を増やしに行っているようなもんだ。友達や同僚などの生活圏内から対象は一気に世界になる。自分はこれでいい!と思っていても、世界中から飛び込んでくる幸せの形に押し潰されそうになり、突然世間に向けて凶器を振りかざす人が表れたりするのではないだろうか。

私はそのSNSの海で平常心を保てる自信がなくなった。常時そこに浸り続けていつか本当に抜け出せなくなり、何かを振りかざす日が来てしまうんじゃないかとさえ思う。


言葉は人を救いもするし、傷つけもする。私はシンガーソングライターなので言葉の力は人一倍信じているつもりだし、気をつけたいと思っている。SNSによって誰でも自由に発信できるようになったのは良いことだけれど、あまりにも安易で、ぞんざいに発信されている言葉が多すぎる。そして私もそうしてしまう時がある。

ネガティブな言葉はより目につきやすく、いいねのために過剰に発信したり、一人歩きしてきた誰かの考えに勝手な憶測をして怒ったり、時には大量兵器のごとくターゲットの人生までも叩き潰そうとする。それらは相手の顔が見える会話や、1つのストーリーとしてまとめあげる本、読む人の感情をイメージしながら書く手紙なんかの言葉よりもずっと責任を持たないで発信されているように思う。そんな言葉に翻弄されて、憂鬱な気分になり、それでもリアルよりも気になってしまうなんてとんでもない中毒性の高さだ。


私はいつか目の前にいる人との時間を大事に出来なくなるのではないかと、むしろ既に大事に出来なくなっているのではないかと思った。対人している時は触らないと線引きしているつもりでも、頭の片隅には常にSNSの存在があって、トイレに立つ数分間の度に触って、写真を撮る度にタイムラインへアップして、というかアップするために写真を撮ったりして、それは果たして線引き出来ていることになるのだろうか。

そうやって四六時中SNS上で輝ける自分作りに費やし、そこでの自分とリアルな自分はどんどん離れていって、いつしかリアルで生きる自分がいなくなってしまいそうで怖くなった。もちろんSNSを通じて出会った方もいるし、皆さんとのコミュニケーションツールとして役立っていたりもするから決して悪いことばかりではない。ただあまりにも依存しすぎ、生活の中心になり、コントロールが効かない自分になってしまっていることがショックなう。


そんなことを思い、Instagramの@fujimoriaiアカウントを休止することにしました。TwitterやFacebookも触る時間を制限してみようと思います。依存しているからこれがなかなか難しい(笑)でも辞めてみるとめちゃくちゃそこに時間を割いていたんだなというのがかなり実感できて、とにかく暇です。こんなに時間ってあるんだ!とびっくりしてます。

代わりに大事な言葉を切らずに済むこのnoteへ濃く綴っていきますので、空いた隙間でもっと楽しくて面白いことを発信していきますうぃる。



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