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「降りてこいと登ってこい」~町工場のの夫は准教授

大変ご無沙汰しております。
前回の更新が4月ですか・・・。おかげさまで、今年度から大学でお話しする機会が増え、少し忙しくさせていただいておりました。

「降りてこいと登ってこい」
町工場の娘と私との考え方の違いです。ただ、この考え方に至る前提が違っているということも。さて、何のことでしょうか。

あ、少し宣伝ですが「幹部社員研【基礎】研修」などというものを始めます。大学での講義や今までの研修を集約してますが、ご依頼いただく企業さんの状況に合わせてカスタマイズしていきます。

教えるスタンス

「降りてこい」というのは、町工場の娘の言い分。「教える側が降りてこい」という言い分。一方で、「教わる側が登ってこい」というのは私の言い分。

言い方を変えると、「できない人に合わせろ」ということと「できるように頑張れ」ということになりますね。

教えるというときに、どちらのスタンスが正しいのか?というと、教わる側次第というのは共通です。

教わる側のスタンスと教える側のスタンス

教わる側が、そもそもその分野に対しての向上心がない、なんとなく聞いてみたいなどといった状態であれば、「登ってこい」というのは全く通用しません。要は、「登る気」がないので。

一方で、教わる側が「登る気」があれば、自然にに学ぶという行動に移ってきます。例えば、分からないことを質問する、調べるなどです。

そうすると、「登ってこい」という教える側のスタンスは、目指すべき地点を示しているものになります。また、登ってくるための様々なヒントや道具を示していきます。これらのヒントや道具を駆使して、教わる側が登ってきて、たどり着いた地点から新しい世界を眺めることができるものです。

ここでは、教える側・教わる側の競演?ということになります。

逆の場合、「登る気がない」場合のとる行動は、大体同じ。「やさしくしろ」「わかりやすくしろ」「難しい」「凡人だから」の言葉を発するだけです(大体、この言葉を発する時点で「どんなに説明しても、分かろうとはしていない」というのは自分の経験則)。

この場合、教える側は降りていく必要があるのですが、そもそも、登る気がないのに降りていく必要があるのか?降りていって何か意味があるのか?などと思うのが自分。

町工場の娘は、逆。降りていくことで、「嫌われない、敵を作らない」です。あれ?教えるという点での哲学が違っているのかもしれません。現状に感謝し、それを大切にすることを重視する妻らしいしい発想。徐々に徐々に、みんなで登っていけばいいじゃんというものです。

教わる側の事情

教わるというときに、教わる側の事情があります。大学で言えば、単位の取得で仕方なくもあれば、関心を持っている分野だからとか、将来の仕事に役立てたいなど様々です。

そうすると、どこに合わせるのか?ということが、教える側がはっきりとしないといけない。

単に単位が取得できればいいは、どちらかといえば「降りてこい」のスタンスでしょう(単位を簡単にやさしく取りたい)。一方で、専門性を身に着けたいというようなことであれば「登っていく」というスタンスでしょう。

どちらに合わせる?といえば、自分は「登ってこい」です。

できない、やる気がないに合わせてれば、そのレベルでしかない。一方で、登ってこいであれば、全体の水準が上がってきます。

ここで問題は、「降りてこい」のスタンスの人たちと合わないということ。選択肢は、「見捨てる」というわけではなく、「登りたい」と思わせるということ。ここが教える側の腕の見せ所ということかもしれません。

「登りたい」と思わせる

登りたいと思わせるには?というと、テクニックもあるのは否めません。あの手この手を使って講義手法を考えてみたいな。

しかし、一番大切なことは「示すこと」だと思います。ここまで登ってくれば「こんな世界が見えるよ」「ほら、見えたでしょ」という感じ。ほかには、自分が先に生きてきた経験を伝えることも示す方法の一つでしょう。だから「先生」なわけです。

登りたいとも思わないことも

先の想定は、大学や予備校といった「学ぶ場」であることです。一方で、学ぶ場ではない場合は・・・。「凡人」「分からない」「難しい」「やさしくしろ」という時点で、学ぶということは考えてなく、別のことを考えているです。

集まってワイワイしたい、呑むきっかけが欲しいとか、何となく誰かに言われたからいるとか。『「場の共有」で仲間作り』というのが目的であることがあります。

この場合になると、「降りてこい」というだけで、降りていっても変わりはしません。場を共有さえできればいいので。そうすると、何か学びとろうとかいう意識が、そもそもありません(そもそもないというのは、学ぶ場と比較してとしておきましょうか)。

こういった場合は、学ぶという雰囲気づくりから始めていかなければならないのですが・・・。また、これは別のお話になりますね。

おわりに

降りてこいも登ってこいも、「学ぶ場」でのお話です。学ぶ場では、教わる側の事情がある。この事情に対して、教える側がどうするか?ということは非常に大切だと思います。どのスタンスをとるかは、教える側の信念によるところかなとも思います。

一番難しくなるのは、「学ぶ場」になっていないというとき。そもそも「学ぶ場ではありません」であれば問題はありませんが、表向きは「学ぶ場」しかし・・・。というとき、この場の作り方が一番難しいと思います。

「社員が成長しない」などと思ってしまうのは、会社が学ぶ場として、成長のフィールドという雰囲気が十分に醸成されていないのかもしれません。

次回は、この点について考察してみようかなと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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