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余談「動かなくなった猫」

午後8時

夕食を終えて部屋に戻ると、猫はもう動かなくなっていた。
最期に一声あげたのだろうか。
前脚をやや伸ばし、そして見えていないはずの目は開かれ、目の前いるであろう飼い主を見つめているかのようであった。

胸はもう上下していない。

手をあてても鼓動はなかった。

猫であったものは旅立ち、
目の前にいるのは猫であった物体だ。

それが2022年11月21日午後8時の出来事である。


2005年秋


彼女が家にやってきたのは2005年の秋頃のこと。
8月19日に生まれた彼女はもうだいぶ大きくなっていたけれど、子猫特有の愛らしさはその面影にまだ残されていた。

「藤咲さん、猫、探してるんですって?」

そう連絡があったのは数日前。アニメーターのA氏が飼っている猫が子供を産み、里親を探していたそうだ。
雑種の子猫を二匹連れてきて、そのうちの一匹を我が家に向かえることとなった。

実を言うと、2005年の初夏、我が家には別の猫が来るはずだった。
作曲家で有名なK氏のオフィスのガレージで育児放棄された猫が見つかり、業界内で貰い手を探していたらしい。

そこで僕が手をあげたのだ。

けれどその猫は結局、うちには来なかった。
預かってくれていたスタッフの方のお嬢さんに情が移ってしまい、一度は我が家に来たのだけれど、一晩で引取に来られ、そのスタッフの方の家へと戻っていってしまった。
体の弱い猫で、誰かに寄り添うことで生きることを知っているようだった。
だから連れてきてすぐに僕の奥さんの膝の上に乗るし、生きるために知恵を総動員させている、そんな小さな猫だった。

一晩だけ猫を飼った。

飼ったというより預かった感じに近い。

一度、手に入れたものが失われた気持ちが大きく、どうしても猫を買いたいという衝動が収まらずにいた。

家を買って一年。
なにかペットを飼いたいね。
そんな話がなんとなく出ていたと思う。
アパート暮らしの頃は金魚とカワエビとドジョウを飼っていた。
カワエビとドジョウは水槽からはねて床で干からびて星となっていった。
金魚たちもいつしかいなくなっていた。
なので金魚はもういい。

犬か猫か。
犬は散歩とか世話がたいへんだから猫がいい。

そして猫に決まっていった。

そんな紆余曲折を経て、二匹目の8月生まれの猫は我が家にやってきた。


おバカな子

この猫は人に抱かれることを嫌うくせに、人のそばにいることを好んだ。

小さな頃はよく本棚の中に潜り込み、本をすべて落とすなどのいたずらをよくやっていた。

高いところも好きで、屋根裏の物置へと続く収納はしごを体全体を使って上り、そして収納ハシゴと天井板の間に挟まり、夏などはそこで涼んでいる姿がよく見られた。

二階のベランダも好きで体の幅ほどしかない手すりの上を器用に歩いている姿を何度も見かけた。
落ちるんじゃないか。
そうは思ったけれど、そこは猫。
落ちるようで落ちない。
そしてそこは猫。
落ちたところで下は土の地面、二階くらいの高さであれば猫ならば怪我なく降りられるかもしれない。

そう思ったのかは知らない。

庭にはベランダの高さまで伸びるコニファーが植えられており、それがよく風に揺れていた。
猫は揺れるものが大好きだ。
だから飛びかかった。
もちろん下はなにもない。

なのでコニファーにひっかかりながら下へと落ちていった。

一度目の落下事件のときは目撃していなかったので猫がどこかへと逃げ出し、もういなくなってしまったのかもしれない。
夜の暗い間に庭に出て声をかけても返事はなかった。
だから、もう会えないのかもしれないとさえ思った。
家猫なので外の世界を知らないのだ。
近所には野良猫も多い。
そんな猫たちに絡まれたらビビって家に戻れないだろう。
うちの猫はビビリだ。
半ばあきらめかけていた翌晩。
リビングで「どこにいったのかなぁ」と話していると、窓外から小さな鳴き声が聞こえてくる。
声を頼りに裏手に回ると、エアコンの室外機の陰で小さくなり尻尾をパンパンに膨れさせて鳴いている猫を見つけた。

よかった。

という言葉の代わりに出たのは「馬鹿だな、お前」だった。

うちの猫のポジションがはっきりした瞬間でもあった。


17歳

毛玉をよく吐く。
壁紙を削り、中の石膏ボードまで削る。
餌の好き嫌いはある。
抱かせてくれない。
爪を切らせてくれない。
風呂なんて大嫌い。
気分屋。

抱かれるのは嫌いな割に冬場になると人の膝の上に乗ってくる。
夏場はフローリングの床に転がっている。
ドア前によく転がっているので踏みつけたこと度々。
おもちゃで遊ぶにはコツがいる。
小さな頃に去勢したので顔立ちは子供のまま大きくなっていった。

玄関前まで出てくることは時々あったけど、近所の猫に威嚇されて、家の中に猛ダッシュで戻っていくビビリっぷり。

そんな猫だけれど、17歳と2ヶ月まで病気という言葉と無縁だと思っていた。

いつしか寝ている時間が長くなり始めていた。

2022年の夏を過ぎ、一番厳しい時期を乗り越えると「次は来年の夏が山場かな」なんてことを毎年、頭を過るようになっていった。


最期の三週間

猫の様子がどこかおかしいと感じるようになっていた。
リビングの椅子に座っていると、よく膝まで飛び乗ってきたのに、それが膝下で鳴き、膝に手をかけはするけれど、乗ることはなくなった。

17歳だし足腰が弱ってきたのかな?

そんな感じにとらえていた。

けれど歩いていると壁にぶつかるようになったことと、階段を降りられなくなり、最上部でよく鳴いているのを目撃して「目が見えてないかな?」と思うようになり、動物病院に連れて行くことにした。

去勢手術も予防接種も最初の5年くらいは行っていたが、多忙になったこともあり、家猫で病気ひとつしないということもあり、動物病院に行くのは10年以上の時間が空いていた。

その日の診察結果は、目はほとんど見えていない。強い光の刺激を与えても瞳孔が動いていないと。また匂いを感じる力も弱くなっているだろうとのこと。
また鳴き声の鳴き方からすると、耳も悪いかもしれないことを告げられる。
おそらく老衰。
そして17歳という年齢は猫の一般的な平均寿命を越えており、十分生きた猫であることを告げられる。
その日は血液検査とレントゲンを撮り、脳に腫瘍のあることも考えMRIを大学病院で受ける選択肢もあるが――とは言われたが、あまり遠くに連れて行く体力がないように感じたのでやめておくことにした。

目が見えない。
耳が聞こえない。
匂いもわからない。

それがわかれば、それなりの対応をするしかない。

なので猫の生活範囲を狭めることにした。

基本的に猫がいるのは僕の寝室なので、そこから一階のリビングに降りられないようにする。
階段を転げ落ちて、万が一骨折することなどをなくすために。

餌も探すようになったので、手を叩いて場所を知らせるなど工夫を凝らすようになっていった。

幸い、部屋の中の位置関係は覚えているようで自由にベッドを登り降りし、制限された範囲内を歩き回っていた。
それでも寝ている時間のほうが長くはなっているけれど。

一週間後、検査の結果が出たので動物病院へ。
「腎機能が相当低下している」
ステージ4という末期ともいえる悪さだった。

老いた猫の宿命とも言うべきか、猫がもっともかかりやすい病のひとつでもある。
望むのであれば大学病院などで透析治療もあるが、小さな猫にできる場所は限られている。
投薬などによる治療も選択肢にはあるが、あくまでも完治する見込みはない。

猫は話せない。
痛いとも言えない。

飼い主にすべての選択肢が委ねられる。

この二年ほど、在宅勤務のスタイルを取るようになり、猫と一緒にいる時間は確実に増えていた。
自分はこの家が好きだ。
おそらくこの猫もこの家が世界のすべてであり、この場所にいたいと信じたい。

だから在宅で最期まで看取る覚悟をここで決めた。

少しでも和らげば――ということで、腎臓病用の餌を少し購入し、自宅へと戻った。

けれどこの頃には、固形物はあまり食べたがらず、あのちゃおちゅーるだけは好んで舐めていた。

奥さんとも相談し、好きなものを食べさせてあげようという結論になる。

なので餌場にはとりあえず好きそうな餌を用意し、食べにいかないときはちゃおちゅーるを口に運ぶようにしていた。

この頃、おしっこをトイレまで行くことができず、フローリングの床の上にするようになっていたので、おしっこシートを敷き詰めた床や廊下となっていた。

うんちもあまり出なくなってきている。
でても小指の先程の大きさしかない。
内蔵の機能がたぶん低下しているのだろう。
検査の答えを聞いてから、一週間の間に猫は一気に衰えていった。

11月19日

猫がよろめきながら歩くようになっていった。
更にはベッドの上に登れなくなっていた。
それでも猫の寝床から這い出して、廊下をあるきまわろうとする。
階段を降りられないようにと横たえた箱の上を乗り越えて、一階のリビングまで降りていくこともあった。

目は見えず、足腰も弱いのに、巡回するのを止めない。
猫の習性なのだろう。

もう好きなようにさせるしかない。


11月20日

猫はほぼ寝ている。
だが這い出して歩こうとするがすぐに倒れるようになった。
後ろ足に力が入っていない。
餌のところに連れて行っても口をつけようともしない。
ちゃおちゅーるからも顔をそむけ始めていた。

終わりが近いのかもしれない。

そんなことを考えるようになった。


11月21日

午前。
ベッドからもう這い出る力もなく、這い出ようとするので行きたそうなところへと運んでやると、そこですぐに横たわってしまう。
香箱座りももうできない。
ただ横たわる。

午後になり、時折、痙攣するような素振りを見せ始める。
水もしばらく飲んでいないので、口の周りをちょっとだけ濡らしてやる。
舐め取ることはできるがもう水を飲む力も無さそうに見える。

夕方ごろ、口を少しずつ開け始め、宙にあるなにかを舐め取ろうとしきりに舌を動かしている。
たぶん空気を取り込もうとしているのだろう。

この時点で僕は静かに17年間、一緒に過ごしてきた猫の最期を見つめようと思っていた。

できることは体を撫でてやることだけ。
十分がんばったよ。
楽になっていいよ。
そう声をかけてやることしかできない。

明日の朝までもつだろうか――?

夜通し見なくてはならないかもしれない。
そう思ったこともあり、夕食を取るためにリビングへと降りていった。


動かなくなった猫


僕の目の前にいるのは動かなくなった猫だった。

悲しさは不思議と湧いてこなかった。
ただ猫が虹の橋を渡ったことを確かめるため、心臓の動きがないことを探り、そして猫のベッドごと、リビングへと運び、奥さんに猫が虹の橋を渡ったことを告げた。

奥さんは用意していたダンボール箱をもってきて、バスタオルを中へと敷いていく。。

僕は猫の体を拭いて清め、体が硬くなる前に箱の中へと収まるような姿勢にして横たえる。
ただ目を開いたままだったので、上から瞼を閉じてやろうとすると情けない顔になってしまったので、上から半分閉じさせつつ、下から持ち上げてやることで笑ったような顔になったのでなんとなく自分も笑顔になった。

なんだかそこで一気に悲しくなってきたので、やるべきことをやってやろうと頭の中のタスクを回し始める。

涼しくなってきているとはいえ、翌日はそこそこ温度が上がるらしいと予報を見ていたので、早めに火葬の手配をしたほうがいい。
なので目星を付けていた動物の葬儀業者へと連絡を入れると、翌日には引き取りに来てもらえるらしい。
選んだのは引き取って個別火葬をしてもらうプラン。

また用意していた保冷剤で内蔵の腐敗を抑えるために腹の下と背中あたりにいれる。これは三時間おきに交換することにきめて、奥さんが朝まで起きているとのことだったので自分は寝ることにした。


11月22日

ぐっすりと寝ることができ、目覚めはよかった。
このところ、猫の悲しそうな鳴き声で目が覚めることが多く、実のところまともに睡眠が取れていなかったからかもしれない。

なので不思議とすっきりとした気分で朝を迎え、猫の寝顔を見に行く。
本当に寝ているみたいだった。
体はもう硬直していて動かすことはできない。
少しだけ死んだ獣の匂いがしていた。
体の中から体液が漏れるようなこともなく、ほんとうに最後の一滴までこの猫は生きることに費やしたのだなと実感させられた。

昼過ぎに業者がやってきて、用意してくれた棺桶に猫をいれる。業者の方は自分自身の飼い猫を自分で見送るためにこの仕事を始めたというくらいに動物思いな方で、僕たちの猫のために泣いてくれていた。
それが仕事だったとしても僕は嬉しかった。
僕はまったく泣けない。
悲しみが湧いてこないのだ。
この三週間で気持ちの整理をつけていたこともある。
最期の瞬間こそ立ち会えなかったけれど、その30分前まではずっとそばにいていやれた。
仕事を休んでずっとそばにいてやれた。
消えゆく小さな命を前に、自分にできることはなにもないことを知らされた。

そして目の前にいるのは動かなくなった猫。
もうできることは送る言葉をかけることだけだった。

「あと20年したらそっちに行くわ」と呟くと、奥さんから「早すぎ」と言われたので「じゃあ100年したら行くわ」と訂正しておいた。

業者に運ばれ、家を出ていく猫に、胸の中で「ありがとう」とだけ呟いた。

それが今の僕にできることのすべてだった。


小さな骨

夜になり、猫は我が家に帰ってきた。
骨壷に収められた小さな骨となって。

業者の方が丁寧に骨を並べていてくれた。
ほんとうによい業者さんだと思った。

頭の骨は僕の手の中に収まりそうな大きさだった。
尻尾の骨はまっすぐに焼けたそうで、それを骨壷の内周に沿うように並べてくれていた。

猫はほんとうに虹の橋を渡ったのだろう。

骨壷を安置し「もう橋を渡ったかな」と奥さんになにげなく言うと「あの子のことだからまだこの家のどこかにいるかもしれない」などと微笑む。

「そうかもしれないね」

そう僕は笑うしかなかった。



――以上、今日の余談でした。


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