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手当てということ。

写真は、娘が1歳直前の、たまらん後頭部です。私のインフルエンザA型発症に続き、現在5歳の娘もやられました。。

高熱と体中の痛み、気持ち悪さを訴える娘。寝られず、泣きながら苦しがる姿は、親としてとてもつらい。タミフルよ、荒ぶるウイルスを沈めたまえ。出来ることは全部していてもなお、打つ手なしのしんどさを訴えてくるわけですが(気持ちはわかるよ、母だってそうだもの)。


こういう時は、とにかく私は、心を込めて、手を当てます。

これは、小学生の頃に読んだ、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」の影響がすごく大きい。


私は幼稚園の年長から、小学校低学年くらいまで、「少年少女新世界文学全集」(講談社)を読み漁っていた。これは祖父が母のために全巻揃えてくれたもの、発売は1962~1965年というからすごい。

このシリーズで、「ああ無情」「十五少年漂流記」「八犬伝」「赤毛のアン」「三銃士」などに大いにハマった私が、大好きな「海底二万里」と同じ巻に入っていて期待せずに読んだのが「愛の妖精」で、いつしか何度も読み返す大好きな作品に。

風変わりな女の子が出てくるんだけど、彼女が終盤に、主人公の片割れを手当てするシーンがあって。幼心に、すごく印象的だった。タイトルの意味が、そこでわかります。

岩波や中公から単行本が出ているようです。読み返そうかな。


幼少期の体験ってすごい。というわけで、今でも手当ての力を信じているわけです(科学的なうんちゃら、ではなく、愛の妖精のファデットの影響で)。

この手が、熱を、痛みを、気持ち悪さを吸い取りますように。手から悪いものを全部吸い込むイメージ。そして入れ替わりに、あたたかい気持ちを注ぎ込むイメージ。気持ちの良いもので満たされるように。じーっと、手を当て、やさしくさする。

娘も、「きもちいい・・・」と言って楽になってくれるので(寝てもまたしんどくて起きてしまうけど)、「おてあて、っていうんだよ、おててを、あてるの」と教えました。


苦しむ娘を膝に乗せて、赤ちゃんの時みたいに、ご飯を食べさせる。

私「しんどいときは、あかちゃんみたいになりたいよねぇー。わかるわかる」

娘「おかーさんもあかちゃんになりたいの?」

私「うん、しんどいときは、なでなでして、ごはんたべさせてほしい」

娘「こんどおかーさんしんどいときは、おてあてしてあげるね」


ありがとう娘よ。私にもしてくれたらとっても嬉しいけど、これから愛する誰かに、お手当てしてあげてね。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。